江戸連講

5月講「じゃがたらお春の研究」ー17世紀ジャガタラ移住日本人女性のグローバルな世界での活動についてー

日 時:5月28日(土)午後2時~4時
場 所:高井戸区民センター第1・2集会室&オンライン(Zoom)配信
講 師:白石広子氏(江戸連会員) 歴史学博士PhD(青山学院)
    主な著書:「じゃがたらお春の消息」「長崎出島の遊女」「バタビアの貴婦人」他、論文多数
会 費:会場参加 会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加 会員500円、非会員1,000円
(会員は9月末にまとめて支払い。非会員は事前支払い、ただし関係会員との合算可)

総会および4月講「北前船と遊里-北国の遊里を中心に」

日 時:4月23日(土)
    14:00~14:45 総会
    15:00~17:00 4月講「北前船と遊里-北国の遊里を中心に」
場 所:東京ウイメンズプラザ&オンライン(Zoom)配信
総会議題:2021年度活動報告および決算、2022年度活動計画および予算、その他
4月講講師:渡辺憲司氏 立教大学名誉教授 2018年江戸連4月講・講師
会 費:会場参加 会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加 会員500円、非会員1,000円

報告

4月講は、渡辺憲司講師の「北前船と遊里-北国の遊里を中心に」で、北前船航路の北陸地方および東北地方の日本海側のいくつかの遊里について、江戸の吉原との違いや特徴を伺いました。現地参加者20名、Zoom参加者25名と、多くの方に参加していただきました。2018年4月の「江戸遊里の記憶~遊里の光と影」から4年ぶり2回目のご登壇でした。最初に北海道の民謡「江差追分」を聴き、江差の遊女のことが歌われていることをはじめて知りました。個人的に江差は何度か訪れていて、「江差追分」も耳にしたことはありましたが、ニシン漁で栄えたところという認識しかありませんでした。江差や青森の鰺ヶ沢、山形の酒田、福井の三国など、北前船の寄港地として栄えた町には沢山の人やお金が集まり、地方の食や文化が運ばれ、商人や職人を中心とした自由な気風があふれていました。そこに形成された遊里も、吉原とは違う自治・自由の精神を持ち、地方の文化が引き継がれて独自の発展を遂げました。先生のお話は2時間では収まらない内容で、現在まとめているという「岡場所雑記」についても是非伺いたいと思いました。

以上     文責:山本 秀美



3月講「江戸連・NPO法人登録20周年記念」

①任意団体当時の江戸連の活動とNPO法人化    野津弘氏(理事)
②NPO法人登録から20年の歩み          圓山稔氏(代表理事)
③江戸連機関誌発足から今日まで          長谷田一平氏(理事)
④特別企画、江戸連歩み-映像アーカイブ

日 時:3月26日(土) 午後1時半~4時半
場 所:日本橋伊場仙ビル7階会議室&オンライン(Zoom)配信
会 費:会場参加 会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加 会員500円、非会員1,000円

報告

江戸連の発足時の話(発足時からの理事である野津氏と吉田氏)やその後の江戸連の歩みや問題点など(圓山氏)や機関誌発刊時のエピソード(初代機関誌担当理事の長谷田氏)がなされた。また、20年に及ぶ活動の様子を映像としてまとめた「江戸連アーカイブス」(新実前代表理事や長谷田氏らがまとめてくれた)を約1時間流したが、写っている会員たち(亡くなった方を含めて)の笑顔が印象的であった。

以上     文責:圓山 稔



2月講「江戸の犯罪と刑罰」

日 時:2月26日(土)午後2時~4時
場 所:新宿歴史博物館2階講堂およびオンライン(Zoom)配信
    新宿区四ツ谷三栄町12-16 03-3359-2131
講 師:大久保治男氏  2021年江戸連6月講・講師
             駒澤大学名誉教授、武蔵野学院大学名誉学長
             日本法制史専門
参加費:会場参加 会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加 会員500円、非会員1,000円

報告

2月講は、大久保治男講師の「江戸の犯罪と刑罰」で、現地とオンラインの開催となり、参加者は34名と多くの方が参加されました。最初に江戸幕府の刑罰の思想・主義・特色を学び、次に様々な刑罰の種類を系統立てて学ぶことができました。幕藩体制を維持するために、悪いことをすればそれに応じた罰を与えるという応報刑思想に基づき、公刑主義に則って見せしめのために刑罰が公開されていたとのこと。時代劇のお裁きや拷問のシーンを思い出し、背筋が寒くなりました。また、2019年5月講「江戸の刑罰におけるお仕置場の役割-鈴ヶ森と小塚原の空間と機能-」で学んだ鈴ヶ森と小塚原の刑場は、江戸に入ってくる人たちにとって、江戸で悪いことをすればこんな悲惨な末路になるのだという抑止力の意味があったことをあらためて理解しました。「土壇場」や「どさくさ」、「あごを出す」の語源に関するお話も大変興味深く、「岡っ引き」の「岡」は仮という意味があり、十手を持つ同心の代わりに仮に逮捕する者から来ているとはじめて知りました。現代のように科学が発達していなかったため、証拠ではなく自白に基づいて裁くのに拷問が許されたことや、「目には目を歯には歯を」にも似た応報刑思想により罪が裁かれ、抑止力として公刑主義に則っていたことは、混乱の戦国時代の後に、江戸幕府が260年を越える幕藩体制を維持するためには必要だったのだろうと感じました。

以上     文責:山本 秀美



1月講「新宿山ノ手 七福神めぐり」

日 時:1月9日(日)午後1時
集合場所:JR飯田橋駅西口(新宿寄り)改札口前広場
コース:飯田橋駅~神楽坂~①善國寺(毘沙門天)~地蔵坂~御徒組屋敷(大田南畝ら)~
    ②経王寺(大黒天)~大江戸線「牛込柳町駅」(乗車)~大江戸線「東新宿駅」(下車)~
    ③稲荷鬼王神社(恵比寿)~④永福寺(福禄寿)~⑤厳島神社(弁財天:朱印は西向天神で)~
    ⑥法善寺(寿老人)~西向天神~⑦太宗寺(布袋尊)
    (所要時間:2時間半程度)
参加費:会員1,000円、非会員1,500円
その他:新年会はありません

報告

1月講は新宿山ノ手 七福神巡りで、晴天に恵まれた久しぶりの街歩きとなり、外部の方も含めて24名が参加されました。案内役の松本氏、小嶋氏、圓山代表理事の順に、3グループに分かれてJR飯田橋駅西口を出発。最初は、神楽坂の善国寺(毘沙門天)にお参り。地蔵坂、大田南畝も住んでいた牛込御徒組屋敷のあった通りを経て、経王寺(大黒天)に到着。こじんまりした境内に沢山の小さな仏様が並び、ほっとする空間でした。大江戸線牛込柳町駅から電車に乗り、東新宿駅で下車、稲荷鬼王神社(恵比寿)に到着。恵比寿神社の鳥居の上に船が飾られており、驚きました。次は永福寺(福禄寿)。新宿にいるとは思えないほど静寂に包まれた場所でした。賑やかな通りを経て、厳島神社(弁財天)へ。境内を南北に通り抜けできることから、苦難を切り抜けられる抜弁天として庶民に信仰されたそうです。住宅街の細い道を通って法善寺(寿老人)に到着。境内の案内板にあった「七面明神像」を探しましたが、通常は非公開ということで拝見できず残念でした。厳島神社(弁財天)の御朱印がいただける西向天神社には、幕末築造の富士塚「東大久保富士」がありました。最後の太宗寺(布袋尊)は、江戸時代の宿場「内藤新宿」の中にあったことから、多数の参詣者があり門前町も発展したとのこと。布袋尊のほかに、江戸六地蔵の一つ「銅造地蔵菩薩坐像」や、「閻魔像」、「奪衣婆像」、「内藤家墓所」があり、とても立派な浄土宗の寺院でした。

以上     文責:山本 秀美



2021年12月講「江戸芸能づくし」

日 時:12月18日(土)午後2時~4時
場 所:新宿歴史博物館2階講堂およびオンライン(Zoom)配信
演 目:・紙芝居  寿々方さん 江戸連会員 江戸がたり家元 「大人のための紙芝居2作」
    ・マジック 三宮さん 江戸連会員 「カードマジック(映像参加)」
          白石さん 江戸連会員 「ロープマジック・他」
    ・落 語  花伝亭長太楼師匠 江戸連会員 「片棒」「芝濱」
会 費:会場参加 会員1,000円 非会員1,500円
    Zoom参加 会員500円 非会員1,000円

報告

12月講は、会員の花伝亭長太楼師匠、寿々方さん、三宮・白石さんによる「江戸連芸能づくし」で、現地とオンラインの開催となり、参加者は33名と多くの方が参加されました。最初は花伝亭長太楼師匠の「片棒」は、けちで有名な赤西屋の大旦那、人呼んで赤西屋ケチ兵衛、いつかは身代を息子達に譲らないといけないが、息子3人に自分の葬式をどのようにしてくれるかを試した。長男は一見立派だが、お金がかかることが気に入らない。次男は、お坊さんを沢山呼んで野辺送りを盛大にすることで身代を譲れないと判断。三男は、棺桶の代わりに漬物樽を使い天秤棒で担ぐが、もう一人の担ぎ手に大旦那が「それなら私が担いでやろう、死んでいる場合じゃない」で終わり。
次に、「芝濱」は、勝五郎が50両を拾って、女房が隠して後で50両の事を知らせて、酒を進めるが、又、夢になるといけないので酒を飲まなかったとの物語。
寿々方さんの話で「安珍・清姫伝説」は、紀州道成寺にまつわる伝説のこと。思いを僧の安珍に裏切られた清姫が蛇に変化して日高川を渡って追跡し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている。次に「愛染かつら」は、川口松太郎の小説。津村病院創立25周年祝賀の日、看護婦 高石かつ枝は余興に歌を歌った。伴奏は津村病院長の長男 津村浩三で、これが縁で浩三とかつ枝はたびたび会うようになり、愛染かつらの樹の下で永遠の愛を誓う。亡夫との子供がいるため会うのをためらった。(省略)
三宮さん、白石さんの素晴らしいスーパーマジックは、感動しました。

以上     文責:川越 誠司郎

      



2021年11月講「江戸は”花と緑”にあふれていた」

日 時:11月20日(土)午後2時~4時
場 所:阿佐ヶ谷区民センター第4集会室&オンライン(Zoom)配信
講 師:圓山稔氏 江戸連代表理事
内 容:・江戸は庭園都市であった
    ・外国人から見た「日本人の花好き」
    ・江戸の花ブーム
    ・大田南畝の日記に見る江戸の花見
参加費:会場参加 会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加 会員500円、非会員1,000円

報告

11月講は、会員の圓山講師の「江戸は”花と緑“にあふれていた」で、現地とオンラインの開催となり、参加者は40名と多くの方が参加されました。
圓山講師は、2016年4月以来の5年半ぶりの熱演となりました。
江戸の町の大半は、武家が70%を占め、特に明暦の大火以降は、徳川幕府が大名の下屋敷として住むことを勧めた。八代将軍・徳川吉宗が隅田川堤他、庶民の為に花見の名所を作ったことは、江戸時代の象徴となった。江戸名所のガイド「江戸名所図会」・「江戸名所花暦」の挿絵入りの紹介がある。梅・椿・桃・桜・山吹等の名所が多々あり、江戸庶民の娯楽の場所となった。特に、「花暦」は、岡山鳥が江戸の四季を43項目挙げ、35ヶ所(桜)を挿絵入りで紹介している。又、外国からも、日本の花好きが紹介されている。江戸時代のそれぞれの時代で、大変なブームとなった。
特に椿・躑躅(つつじ)・菊・楓・唐橘・変化朝顔・万年青(おもと)等と多彩な植物があったようです。
圓山講師の大好きな大田南畝の紹介もあり漢詩・狂歌・戯作・随筆・日記等があり、特に、日記や随筆では興味深い内容となっている。別図の「南畝と歩く江戸の花見」は、南畝の知識豊かな行動的な様子が窺え、観察力に長け、好奇心があり、エネルギッシュな人物について感動しました。

以上     文責:川越 誠司郎



2021年10月講「浮世絵の中の西洋~オランデーズリー(阿蘭陀趣味)を検証する~」

日 時:10月23日(土)午後2時~4時
場 所:オンライン(Zoom)配信のみ
講 師:岡泰正氏 神戸市立小磯記念美術館館長。文学博士(関西大学)美術史専攻
     主な著書:『めがね絵新考 浮世絵師たちがのぞいた西洋』
          『びいどろ・ぎやまん図譜 江戸時代のガラス・粋と美』
          『身辺図像学入門 大黒からヴィーナスまで』
          『長崎びいどろ 東西交流が生んだ清涼なガラス器』
          『日欧美術交流史論 一七~一九世紀におけるイメージの接触と変容』等、他多数
会 費:会員500円、非会員1,000円

報告

10月講は、岡泰正講師の「浮世絵の中の西洋一オランデーズリー(阿蘭陀趣味)を検証する―」で、オンラインのみの開催となり、参加者は34名と多くの方が参加されました。江戸時代の西洋文化へのあこがれ、好奇心がどのように美術・浮世絵に取り込まれて行ったのかを、写真を交えての具体的な講話でした。
最初は16~17世紀におけるイエズス会派の絵画を中心とした説明がありました。18世紀には、木版筆彩の始祖と言われる「奥村正信」が、唐人館之図を作成し、また、「円山応挙」は、パリ・モンアール版の ”貯水近くのカフェから見た大通り ”の景色を学び、遠近法での ”三十三間堂通し矢 ”を作成している。浮絵の中興の祖と言われる、「歌川豊春」の作品も素晴らしいものがある。
特に、「葛飾北斎」の、”北斎漫画”の内容に興味があり西洋風の遠近法を採用した、奥行きをつくることの面白さを発揮した作品が記憶に残った。また、神奈川沖浪裏のプルシャンブルーという ”青 ”の素晴らしさも見逃せない。
また、「窪俊満」の、”中洲の四季庵の酒宴 ”の作品も興味深い出来となっている。
北斎の弟子である「安田雷洲」の ”赤穂義士報讐図 ”においては、アルノルト・ハウグラーケンの ”新約聖書 ”の作品内容とほぼ一緒とは驚きました。
絵画で有名な「ゴッホ」も、「歌川広重」の作品 ”猿わか町 夜の景 ”を所持し、自身作として、”夜のカフェ(油彩)”を書いていたとは、知りませんでした。
講の内容として、写真の説明、木版筆版・木版色摺・紙本着色等 多様な説明でした。

以上     文責:川越 誠司郎



2021年9月講「蘭学者を守り通した桂川家の位相ー平賀源内と桂川甫周・森嶋中良兄弟の交流を通じてー」

日 時:9月25日(土)午後2時~4時
場 所:杉並区高井戸区民センター&オンライン(Zoom)配信
講 師:桂川靖夫氏 桂川家11代当主、洋学史学会会員
    専門分野:植物分類地理学、臨床心理学
    著作(共著):茨城の科学史(常陸書房)、茨城県大百科事典(茨城新聞社)
    学校カウンセリング講座、他多数
参加費:会場参加 会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加 会員500円、非会員1,000円

報告

9月講は、桂川家11代当主・桂川靖夫講師の「蘭学者を守り通した桂川家の位相―平賀源内と桂川甫周・森嶋中良兄弟の交流を通じて―」で、現地とZoomでの参加者は、桂川家親族も含め38名と多くの方が参加されました。
江戸時代中頃、6代将軍・徳川家宣(綱豊)に侍医として仕えた桂川邦教をはじめとして、桂川家は代々、徳川家の幕府奥医として仕えてきた。さかのぼれば、安寧天皇、十市中原家からのスタートとしての桂川家の歴史家系図がある。
本日議題の「桂川甫周」・「森嶋中良」兄弟の活躍は印象的なものがあった。
蘭学者でもあった桂川兄弟は、あのエレキテルで有名な平賀源内とも交流があったとは意外でした。桂川家は、外科医として法眼(中世以降は、医師・絵師他に与えられた称号)の身で、武士としての心構えも持っていた。
森嶋中良は、「森羅万象(天地間に存在する数限りない全すべての形あるもの)」を終生愛したとも伝えられている。桂川甫周・森嶋中良は、全国的に幅広い人的交流があり、有名人(杉田玄白・前野良沢・大田南畝 等)との交流もあったようです。

以上     文責:川越 誠司郎



2021年8月講「江戸と江戸以前ー古地図から見えてくるもの」

日 時:8月28日(土)午後2時~4時
場 所:阿佐ヶ谷区民センター第1集会室&オンライン(Zoom)配信
講 師:芳賀啓氏 1949年仙台市生まれ。元柏書房代表取締役社長。東京経済大学客員教授
          現之潮主宰。早稲田大学エクステンションセンター講師
    主な著書:「地図・場所・記憶」2010年けやき出版
         「江戸の崖 東京の崖」2012年講談社
         「古地図で読み解く江戸東京地形の謎」2013年二見書房 他
会 費:会場参加 会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加 会員500円、非会員1,000円

報告

芳賀講師は、2018年2月の講から3年半ぶりの講となりました。
休憩時間もない程の熱演ぶりでした。講の資料は、古地図1枚で、大半がスライドと、写真中心による講話となり、メモをとる間もないぐらいのスピードでした。
まず、寛文五枚図は、新板江戸大絵図、新板江戸外絵図の説明があり、江戸時代の様子が窺えました。弘長元年(1261年)10月3日、国・群・郷・村の始まりとなりました。古文書は差出人・受取人を具備しており一次資料ですが、史書は不特定多数を予見しており二次資料となります。
徳川家康が愛読していた二次資料である吾妻鑑に江戸太郎の名前が出ている。当時の最速の通信手段は馬であった。時速20~30㎞で走ったが30分しか持たず、替え馬が必要であった。人は一日8里、32㎞くらい歩いたようです。鎌倉時代、甲州街道が通った西国分寺にある姿見の池は、近くの恋ヶ窪一帯が宿場町であった頃、遊女たちが自らの姿を映して見ていたという言い伝えから名付けられた池である。恋ヶ窪という地名の由来の一つとも言われる、武将・畠山重忠と夙妻太夫の悲恋が伝承されている。
最後に太田道灌の江戸城の頃の長禄年間江戸図の説明がありました。この図は、前島が描かれておらず、川や池についても誤りがあり、江戸時代に造られたものと思われ、古地図とは言い難いようです。ただ、江戸時代と現在の街地図比較が面白く、興味深いものでした。



報告

7月講は、会員の荻原延元講師の「日本の伝統文様」で、約1年ぶりの講演となりました。現地とZoomでの参加者は、31名と多くの方が参加されました。
江戸時代の浮世絵の始祖・菱川師宣の「見返り美人」、京の人気絵師、西川祐信の「柱時計美人図」は、うっとりするものがあります。
縞と格子については、縞柄、小紋柄、格子柄が特に人気があったようです。
また、家紋は平安時代から使用され、江戸時代では大名・旗本が多く使用していた。あの有名な毛利元就の三本の矢(長門三ツ星)は、毛利家の団結を呼びかけたものです。纏(まとい)の服装デザインは柄が多様あり、定火消し、大名火消しと並び、大岡越前守の「いろは四十八組」の町火消纏は、目を見張るものがあります。
当初は、江戸の定火消しや奴(やっこ)が好んで着た「かまわぬ文様」は、役者も好む絵柄となり、縦縞(〇〇縞)の多様な柄が流行し、中には、手が込んだものもある。
あと、「辻が花の模様染め」・「慶長小袖」・「寛文小袖」・「元禄友禅染め」は、時代の特徴を生かした出来となっています。
特に、加賀の宮崎友禅斎の手書きによる染色技術は、素晴らしかったです。

以上     文責:川越 誠司郎



2021年6月講「文化人井伊直弼と埋木舎(うもれぎや)」

日 時:6月19日(土)午後2時~4時
場 所:阿佐ヶ谷区民センター第6集会室&オンライン(Zoom)配信
講 師:大久保治男氏(彦根派藩筆頭家老大久保氏子孫)
       駒澤大学名誉教授、武蔵野学院大学名誉学長、日本法制史専門
会 費:会場参加 会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加 会員500円、非会員1,000円

報告

6月講は、大久保治男講師の「文化人 井伊直弼と埋木舎(うもれぎや)」で、大久保家は、徳川家康の祖父の代より旗本、藤原氏一門後裔。井伊直弼の時代は、藩の重役として活躍した。
直弼は、彦根藩35万石の藩主で、徳川幕府の大老でもあったが、父・直中の14男坊として生まれ、17歳から32歳までの15年間は、藩の「北の屋敷」で生活することとなった。
ここを「埋木舎(うもれぎや)」と名づけた。ここで茶道・歌道・謡曲等文化人としての修行をした。直弼は、後世、「茶・歌・ポン」というあだ名がつけられたと言われている。
特に歌道では、埋木舎においての「和歌」は、熱心に取り組んだ様子がうかがえます。他にも国学・蘭学・書・画・湖東焼・楽焼・禅・仏教も修練を積んだ。武人のため、弓・馬・剣道・居合術・柔術・兵法等にも練達し、文武両道を極めた。また、茶道において、一期一会や余情残心の考え方はすばらしいと思います。武家社会で「保剣」という言葉があり、刀を抜いたら負けとは驚きました。
大久保家では、講師の曾祖父(小膳)が直弼の茶道の高弟(宗保)として従事し、明治4年以来、埋木舎を贈与され代々で保存している。

以上     文責:川越 誠司郎



2021年5月講「信州が生んだ気骨ある儒学者・経世家”太宰春台”について」

日 時:5月22日(土)午後2時~4時
場 所:オンライン(Zoom)配信のみ
講 師:清水学氏(江戸連会員)経済学者
     アジア経済研究所総合研究部長、一橋大学経済研究科教授ほか、多数の大学を歴任
     主な著作(編集)「中央アジア―市場化の現段階と課題―」「中東政治経済論」他
会 費:会員500円、非会員1,000円

報告

5月講は、会員の清水学講師の「信州が生んだ気骨ある儒学者 経世家・太宰春台」で、春台は、長野県・飯田市の飯田藩士の子として生まれ、15歳で但馬出石藩の小姓頭となり、17歳で朱子学者の中野撝謙の私塾に入門した。21歳で致仕(官職を辞して隠居すること)したので、藩主が怒り10年間の禁固を命じた。その間、どこにも仕官できなくなり、不退転の意思で勉学に励む。32歳で禁固の刑が解け、あの有名な荻生徂徠に入門し、詩文から儒学・古文辞学へ転向した。印象的だったのは、師の荻生徂徠に対し「言いにくいことを言う唯一の弟子」としての気質だった。
中国語・音楽・医学他、極めて広範囲な分野に関心を持ち、野心家でもあった。
日本で初めて「經濟」の語を書名とする『経済録』を著す。
その後、私塾紫芝園を開設し、本格的な研究・執筆・教育に従事した。
又、会読(セミナー)の運営の理念は、個性と平等を尊重した自由闊達なもので学ぶ点が多い。一連の名著を出版し影響力が徐々に広がるも、68歳の生涯を閉じた。

以上     文責:川越 誠司郎



総会および4月講「江戸幕府による大名の格付け」

日 時:4月17日(土)
    13:30~14:30 総会
    15:00~17:00 4月講「江戸幕府による大名の格付け」

場 所:東京ウイメンズプラザ第ニ会議室&オンライン(Zoom)配信

総会議題:2020年度活動報告および決算、2021年度活動計画および予算、その他

4月講講師:安藤優一郎氏
      歴史家。日本近世政治史・経済史専攻。文学博士(早稲田大学)
      著書「お殿様の定年後」(日経プレミアムシリーズ)、「渋沢栄一と勝海舟」(朝日出版)
      その他、江戸に関する著書多数
      江戸連での過去の講演 2013年7月講「知られざる幕末維新の先覚者山本覚馬」

会 費:会場参加-会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加-会員500円、非会員1,000円

報告

江戸幕府は、大名を格付けすることで大名をコントロールし、幕藩体制を維持することを図った。
格付けのベースは、石高と家柄(親藩・譜代・外様)によるものである。石高には、表高と実高があり、格は表高により、将軍から朱印状が発行された。家柄の内、最も重要視されたのが、譜代である。その中でも、江戸時代以降に取り立てられた譜代大名が最重要視された。親藩は、政治の場からは遠ざけられ、敬して実権は持たせられなかった。
具体的に見える形としては、登城の人数制限、殿席や礼席の場所、礼服の違い、将軍からかけられる言葉の違い、などがあった。また、庶民にもわかる形として、江戸藩邸の造りや参勤交代の大名行列の様式などが定められていた。
以上のことが、レジメにしたがって、具体的に詳しく解説がなされました。

以上   文責:白石 徹



2021年3月講「江戸の蘭学塾ー大槻玄沢と芝蘭堂ー」

江戸時代の芝蘭堂は、大槻玄沢が開いた蘭学塾としてよく知られている。高校の日本史教科書では、蘭学の隆盛を築いた人物として玄沢を挙げ、芝蘭堂を開いて多くの門人を育てたことを強調している。しかし、教育の実態は、案外わかっていない。門人の記録などを手掛かりに玄沢がどのような教育を行っていたのかをお話したい。

講 師:松本英治氏
     開成中学校・高等学校教諭
     近世対外関係史・洋楽史を研究

日 時:3月27日(土)午後2時~4時
場 所:高井戸区民センター第9集会室
    オンライン(Zoom)配信あり
参加費:会場参加-会員1,000円、非会員1,500円
    Zoom参加-会員500円、非会員1,000円

報告

・江戸時代の蘭学塾では何が教えられていたのか、実態はあまり知られていない。
・大槻玄沢の「芝蘭堂」について、その人物像と「芝蘭堂」の実態について、レジメと34枚に及ぶスライド
 で、講演が行われた。

<大槻玄沢>
・1757年現在の一関市で医師の家庭に生まれる。最初の師、建部清庵を通して杉田玄白に入門。オランダ語を
 前野良沢に学ぶ。父の死後、一ノ関藩・藩医から仙台藩・藩医となる。その間、長崎に遊学。
・「解体新書」は実証性のある西洋医学の紹介であり、また、杉田玄白らがそれを公開したことに大きな意義が
 ある。
・「解体新書」の翻訳ができたのは前野良沢のみであったが、良沢は翻訳が不完全であるとして著者に名前を
 連ねなかった。杉谷玄白もそれを自覚しており、大槻玄沢に改正を託した。
・「蘭学階梯」
 大槻玄沢の出世作。上巻は蘭学とは何か、下巻はオランダ語の学習法。しかし、これを学んだからと言って、
 オランダ語が習熟できるとは限らない。翻訳中心の考え方で、まず単語を覚え、前置詞や冠詞に注意し
 ながら、適当な訳を考えろというもので、文法の発想はない。蘭学の入門書として蘭学を知らしめた意義は
 あった。
・「芝蘭堂新元会絵図」
 西洋暦によるオランダの新年会を芝蘭堂で開催した様子を描いたもの。即ち、玄沢がオランダ正月を仲間たち
 と共に祝った。
・「環海異聞」
 1804年、ロシアから、大西洋・太平洋を回って来訪したレザノフが連れてきた仙台藩の漂流民から聞き取っ
 た情報を、玄沢がオランダの本や文献を考証して著わした。
・「厚生新編」
 蘭学が幕府に公式に認められ、玄沢は天文方・蕃書和解御用方に出仕。長崎の優秀な通訳、馬場佐十郎と共に
 ヨーロッパの百科事典を翻訳した。
・「重訂解体新書」
 杉田玄白に託された「解体新書」の改正版。翻訳のレベルが向上していると言える。旧版が木版刷りに対して
 銅版刷りになっている。

<芝蘭堂>
・1786年江戸の本材木町に開塾。同学の士との集いを理由に仙台藩・藩邸から脱出。火事により次々と何度も
 移転した。
・門人帳「載書」
 「載書」とは誓いの文書。入塾者が年月日、出身地もしくは所属を記載し、署名して花押と血判。記載者は
 94名。しかし署名者が門人の総てではない。入塾時でもない。
・塾生の就学状況、教授内容-略

「芝蘭堂」について、松本先生のレジメの「まとめ」より転記。
・杉田玄白所伝の蘭方医学の教授を標榜する医学塾だった。
・大槻玄沢による「解体新書」の講義とオランダ語の指導が行われた。
・オランダ語は、芝蘭堂に学んだだけでは、翻訳力を身につけるのは難しかった。
・漢学の素養を重視し、漢方医学の教授も行われ、「漢蘭折衷」の立場を取っていた。
 (訳文は漢文で表記されるため-白石注記)

以上     文責:白石 徹



2021年2月講「江戸の社会と浮世絵の情報力」

緻密な技術に支えられ、現在は国内外で愛好される浮世絵版画は、様々な情報を伝えるメディアとして発達しました。歌舞伎や遊郭などの楽しみだけではなく、江戸時代に起きた地震や伝染病の流行、政治への不満なども積極的に主題とした浮世絵の情報力に注目し、江戸庶民が浮世絵をどのように楽しんだか考えます。

講 師:藤澤茜氏
     神奈川大学国際日本学部日本文化学科・准教授
     歌舞伎・浮世絵を中心とした日本文化を研究
日 時:2月20日(土)午後2時~4時
場 所:オンライン(Zoom)配信のみ
参加費:会員500円、非会員1,000円

報告

・スライドを使って、浮世絵を映しながらのご講演でした。
・浮世絵、歌舞伎、小説が相互に影響しあいながら江戸文化を構成していた。
・浮世絵版画が最も多いのは歌川国貞、その半数以上が役者絵。葛飾北斎も多いが、北斎は肉筆画が多い。
 二人とも長命であった。
・浮世絵は、西洋の絵画(ゴッホやモネ等)や音楽(ドビュッシー等)に影響を与えた。
・現代でも、日本のパスポートのデザインに使われたり、2024年の新千円札に使われる予定である。

浮世絵の情報発信
  ①麻疹絵・天然痘絵―疫病流行の情報。対処方法などの情報、病魔退散祈願
  ②美人画―ファッション情報を伝える
  ③風景画―観光ガイドブック
  ④役者絵―歌舞伎の情報。浮世絵の半数を占める。役者の似顔絵である。現代の歌舞伎の衣装は、浮世絵の
   役者絵を参考にしている
  ⑤商品・店舗の宣伝―例:「江戸高名会席尽 広尾 狐鰻 狐忠信」は、「狐鰻」の料亭の宣伝、狐に引っ
   掛けて三代目坂東三津五郎が演じる狐忠信の役者絵を三代歌川豊国が描き、その上部に料亭の佇まいと
   近隣の風景を初代歌川広重が描いている
  ⑥鯰絵―地震報道。「名石千載刎 男之助せりふ」、伽羅先代萩を捩ったもので、ナマズが悪役仁木弾正に
   扮し、鹿島大明神にやっつけられる絵。他に大鯰が、鹿島大明神にのしかかられ、小さな鯰達が頭を下げ
   ている。余震を象徴。さらに伊勢神宮の白い駿馬が、ナマズを押さえつけている図などがある。また、
   ナマズの周りに、地震によって職を失った人達(サービス業など)や、儲かった人達(大工や左官など)
   の格差を描いた図。等々、地震情報を伝えたり、地震終息を願ったり、はたまた、自然災害でどうしよう
   もない、やり場のない怒りを鯰にぶつけたりし、溜飲を下げた。多くの人が鯰絵を買った。災害のどさ
   くさで、次から次へと出版するため、版元や絵師の名前は記載せず、無届で行われた。後に、幕府は
   鯰絵を禁止する。鯰絵は、オランダの文化人類学者アウヘハントに見出され、その後、日本で研究が
   始まった。外国で評価され、その後日本でも評価されるようになったのは、浮世絵そのものであり、写楽
   などがある
  ⑦諷刺画―政治や社会への批判を表現。検閲があるため、高度な工夫がされている。例:戊辰戦争の風刺画
   「子供の遊力比べ」、着物の柄で人物が特定できるようにしている。一見したところ、何の変哲もない絵
   だが、それを読み解く読者の力もすごい
  ⑧横浜絵―維新前後の横浜の様子を伝える


以上    文責:白石 徹



2021年1月講「新宿山ノ手 七福神めぐり」

集合時間:1月16日(土)午前10時
コース:JR飯田橋駅西口改札付近(新宿寄りの神楽坂方面・江戸時代の牛込御門の石垣が残る)~神楽坂~
    ①善國寺(日蓮宗毘沙門天・家康が創建)~地蔵坂~旧御徒組屋敷(大田南畝の誕生地)~
    ②経王寺(日蓮宗「火伏せ」の大黒天・境内に長崎山王神社の被爆の楠)~大江戸線牛込柳町駅乗車→
     東新宿駅下車~
    ③稲荷鬼王神社(恵比寿・豆まきで「鬼は内、福は内」と唱える)~
    ④永福寺(曹洞宗福禄寿)~
    ⑤厳島神社(弁財天・朱印は西向天神で受け付け)~
    ⑥法善寺(日蓮宗寿老人)~西向天神(弁財天の朱印受付)~
    ⑦太宗寺(浄土宗布袋尊・信州高遠藩内藤家の菩提寺・江戸六地蔵の一つ、都内最大の閻魔)~
     丸の内線新宿御苑前駅・解散
参加費:会員500円、非会員1,000円
その他:・新年会は中止です。
    ・Zoomによる配信はありません。
    ・出発場所で地図と解説資料をお渡しします。現場での説明はありません。
    ・5人一組で順次出発します。
    ・最終地点で流れ解散です。

報告

コロナ禍により中止



2020年12月講「江戸芸能づくし」

日 時:12月5日(土)午後2時~4時
場 所:東京ウイメンズプラザ(青山)第一会議室B
演 目:落語「猫の災難」          花伝亭長太楼師匠(江戸連会員)
    狂言紙芝居「ぶす」「かたつむり」  寿々方さん(江戸連会員・江戸がたり家元)
    トランプマジック         三宮さん(江戸連会員・奇跡の会事務局長)
    落語「子別れ」          花伝亭長太楼師匠(江戸連会員)
会 費:会員1,000円(会場参加)。Zoom参加者は無料。
その他:会場参加者は20名に限定。マスク着用の事。
    コロナの感染状況拡大の場合は会場参加は突然の中止もあります。
    恒例の忘年会は今回中止です。

報告

花伝亭長太楼師匠(江戸連会員)
   

   

   

寿々方(江戸連会員・江戸がたり家元)
   

   

   

三宮政一氏(江戸連会員・奇跡の会事務局長)動画出演
   

   

   



2020年11月講「高井鴻山」を語る

葛飾北斎を小布施に連れてきた高井鴻山。信濃の豪商の実態は、幕末維新に於ける先覚者であった。

日 時:11月28日(土)午後2時~4時
場 所:高井戸区民センター第9集会室(57名収容可)
講 師:新実正義氏(江戸連会員・元江戸連代表理事)
会 費:会員1,000円、非会員1,500円(会場参加者)。Zoom参加者は無料。
その他:会場参加者は20名に限定。マスク着用の事。
    コロナの感染状況拡大の場合は会場参加は突然の中止もあります。
    その場合、参加費はキャリーオーバーとします。

報告

小布施
 ・北国街道の近くにあり、中山道に通じ、北陸から京都、江戸に繋がる交通の要衝。
 ・六斎市という月6回の市が開かれた。米・麦の銭相場が立てられた。
 ・固定店舗が増大し、上町・中町・下中町という特権を持った店の町ができ、そのあと裏町・横町が分かれ
  町組五町と呼ばれた(町組は地域名ではなく町内会名で時代により変化)。
 ・茶・塩・魚など食料品、水油・太物・細物など衣料雑貨品を扱う店が多かった。
   

高井家と高井鴻山略伝
 ・詳細略(配布資料参照)
 ・上町の商人。穀物・塩・酒などを扱い、京都の公家へも出入り。総石高300石を超える大地主。
 ・大名貸しも行う。飯山藩から10人扶持を与えられ、家老待遇を受けていた。
 ・鴻山は15~31歳のあいだ京都へ2度、江戸へ1度遊学している。
 ・京都では書・画・詩を学び、陽明学に傾倒。
 ・江戸では、さらに陽明学を深め、多くの学者・文人等と交流。
 ・小布施での鴻山は、家業は弟に任せ、政治・社会・文化面に活動。
 ・葛飾北斎は晩年、小布施の鴻山を4度訪ねており、東町、上町の祭りの屋台の天井絵や岩松院の天井画を
  依頼され描いている。
 ・鴻山は当初攘夷思想であったが、後に開国論に変わる。
 ・幕府を支援、明治になると政府に建白書を提出したり、晩年は教育事業に力を尽くす。

高井鴻山と葛飾北斎
 ・鴻山が江戸遊学中に北斎と出会ったと思われる。北斎は80歳超え。
 ・小布施出身の小山中兵衛が江戸に開いた呉服店「十八屋」が関係しているかも。
 ・北斎への支払いは「十八屋」を通じて行われている。
 ・北斎83歳、天保13年(1842年)に初めて、小布施の鴻山を訪問し滞在する。鴻山37歳。
 ・北斎は鴻山に「画狂老人」と刻した自身の印を贈っている。
    

岩松院天井絵の謎
 ・講演者新実正義氏は、岩松院の天井絵は北斎の娘の「お栄」の作品ではないかと推測。
    

以上    文責:白石 徹



2020年10月講「歌舞伎へのお誘い~出雲のお国から瞼の母」

日 時:10月24日(土)午後2時~4時
場 所:寿々方邸よりオンライン配信
講 師:寿々方氏(江戸連会員)江戸がたり家元
    荒井孝昌氏(江戸連会員)元東京国際大学学長
演 目:1)お国かぶき
    2)江戸歌舞伎
    3)江戸三座
    4)芝居見物「名ごりの夢」
    5)明治維新以降の歌舞伎
    6)長谷川伸「一本刀土俵入り」
    7)長谷川伸「瞼の母」
その他:会員のみ参加。参加費無料

報告

1.お国かぶき (荒井孝昌さん・講演)
 ・関ヶ原の役で徳川方が勝利して3年後、世の中が落ち着いてきた慶長8年(1603年)、出雲のお国が京都で
  興行を行った。
 ・それまで女性が舞台に立つことはなく、お国は武士の格好をして踊った。
 ・これは、当時とても驚きであり、まともではないことの表現の「傾いたもの」といわれ、それが「かた
  ぶく」となり「かぶき」となった。
 ・踊りの興行は、鎌倉室町の頃から神社・仏閣の勧進興行として行われていたが、出雲のお国が、宗教とは
  関係なく、純粋に娯楽として興行を行ったのである。
 ・京都の四条河原で竹矢来を組んで行い(資料参照)、遊女かぶきともいわれた。
 ・この「女かぶき」はやがて舞台から客引き(売春)をするようになり、寛永6年(1629年)に禁止された。
 ・これにかわって「若衆かぶき」が出てきたが、これも同様に承応元年(1652年)に禁止となる。
 ・かわって「野郎かぶき」が出てきて、女形も生まれ、現在の歌舞伎にいたる。

2.江戸歌舞伎 (荒井孝昌さん・講演)
 ・上方と江戸で演劇としての歌舞伎が発展。それぞれに天才が出現する。都市の性格の違いによって異なった
  特徴がある。
 ・上方の和事(わごと)
  街が歴史・文化を共有している人々からなり、実際の心中事件を題材にした現代 劇をやわらかい写実演技
  で表現された。
  作者:近松門左衛門  役者:坂田藤十郎
 ・江戸の荒事(あらごと)
  街には全国から歴史・文化の違う多くの人が集まり、しかも男性が中心で方言が 飛び交い、江戸文化と
  して統一されていない状況。一見して面白い芝居が演じられた。顔の隈取り、実際にはあり得ない格好や
  派手な演技などはその典型である。
  役者:初代 市川團十郎

3.江戸三座 (荒井孝昌さん・講演)
 ・人形町に猿若座、市村座、木挽町に森田座、山村座ができる。
 ・山村座は江島生島事件により廃絶。
 ・芝居は照明がないため昼間に終日行われた。そのため、食事や女性のためのトイレや着替えなど、また、
  席の予約や札の購入のために芝居小屋が利用された。
 ・料金は、最上級の桟敷で一人2万円程度、平土間で5~6千円程度で、現在とあまり変わらない。一番安い
  2階の後ろは人数制限なしで入れたため、追い込みと呼ばれ、立見席で、役者の声が聞こえないこともあり
  「つんぼ桟敷」の語源ともなった。一人15~16文で200円前後。
 ・水野忠邦の天保の改革で芝居小屋は廃止の予定だったが、北町奉行の遠山金四郎の助言により、浅草聖天町
  に移転された。
 ・周りは田んぼで北側に吉原があり、その先には小塚原の処刑場があって寂しい処だったが、江戸三座が
  一か所に集まることにより賑やかになった(資料参照)。

4.名ごりの夢 (寿々方さん・語り)
 ・徳川将軍蘭方の唯一の奥医師、桂川家七代目当主、桂川甫周の娘、今泉みねさんが昭和9年、80歳のころ
  より語り始めた、幼少の頃の江戸時代の様子を記録した「名ごりの夢」
 ・寿々方さんが解説を交えながら、築地の隅田川沿いの屋敷から舟に乗り、芝居見物に出かける一日の様子の
  部分を、江戸がたりの口調で語られた。
 ・みねさんは安政2年(1855年)生まれ、昭和12年(1937年)に83歳で逝去。
 ・みねさんが13歳の時が明治維新であるから、この芝居見物は彼女が10~12歳の頃であったと思われる。

5.明治維新後の歌舞伎 (荒井孝昌さん・講演)
 ・維新の近代化の波は文化の面でも推奨され、演劇改良運動(主に歌舞伎)が起こった。
 ・九代目團十郎は熱心に活動。彼は「活歴物」といわれる旧来の荒唐無稽な時代ものでなく、史実による時代
  考証を重視した歌舞伎を演じた。
 ・井上薫の後押しもあり、天覧歌舞伎も催され、歌舞伎の地位は向上したが、知識階級以外の一般庶民の評判
  は悪く、やがて「活歴物」は廃れた。
 ・これまで、歌舞伎の作品は座付きの作者が台本を提供していたが、これより、歌舞伎に関係のない人達が
  台本を提供するようになった。
 ・代表的な作者として、坪内逍遥、岡本綺堂、長谷川伸などがいる。
 ・長谷川伸は幼少の頃、両親と別れ苦労して独学で学び、新聞記者となる。その経験をもとに書かれたのが
  「一本刀土俵入り」「瞼の母」である

6.長谷川伸「一本刀土俵入り」 (寿々方さん・紙芝居)
 ・関取になれず、やくざになった男が、昔世話になった女性の難儀を救う恩返しの物語

7.長谷川伸「瞼の母」 (寿々方さん・紙芝居)
 ・幼いころに別れた母を探し訪ねたが、やくざの身では受けいれてもらえず、あの懐かしい母は自分の瞼の裏
  にしかいない、と去っていく男の物語

以上    文責:白石 徹