日 時:6月14日(日)10:00~12:00
会 場:新宿歴史博物館講堂&Zoom配信
講 師:大石学氏
<講師プロフィール>
1953年、東京都台東区生まれ。日本の日本近世史学者、東京学芸大学名誉教授・特任教授、静岡市歴史博物
館館長、時代考証学会会長。元禄・享保時代を専門とし、NHK大河ドラマ(『新選組!』『篤姫』『龍馬伝』
『八重の桜』『花燃ゆ』『西郷どん』)等の時代考証を担当、及び『英雄たちの選択』などNHK歴史関連の番組に
多数出演。
著書:『吉宗と享保の改革』、『徳川吉宗・国家再建に挑んだ将軍』、『首都江戸の誕生 大江戸はいかにして
造られたのか』、『大岡忠相』、『元禄時代と赤穂事件』、『近世日本の統治と改革』、『敗者の日本史
16 近世日本の勝者と敗者』、『今に息づく江戸時代 首都・官僚・教育』、その他、多数出版。
<講演内容>
江戸時代は、高い識字率と教育力を基盤とした平和で文化的な時代でした。この江戸のリテラシー・教育力
は、単なる読み書きに留まらず、黄表紙や川柳、小咄といった豊かな出版・大衆文化を育みました。江戸の
人々は困難な状況すら笑い飛ばすユーモアと知恵を持ち、その精神は現代の落語や娯楽にも通じています。
本講演では近世史学者の大石学氏が現代と地続きにある江戸の文化的な普遍性とそれを支えた教育力の真髄に
ついて詳しく解き明かします。
参加費:現地-会員1,000円、非会員1,500円
Zoom-会員500円、非会員1,000円
*会員の方の会費は9月末にお支払いください。非会員の方は、会員との合算支払可。
*外部向け「講演会案内」はこちら
<予告>
これまで江戸期(慶長8年(1603)~慶応3年(1867))は封建制度のもと民衆は貧困と差別そして抑圧を受けながら不十な生活を強いられていた時代と認識されていました。しかし実は江戸期は平和で自由で文明化された時代であったといいます。武士は兵農分離や転封政策により官僚化し農民との関係には恣意が働きにくいシステムが引かれ、結果官僚的支配のもと長期の「江戸の平和」が誕生した、そしてこの平和を基礎から支えたのが「江戸の教育力」であったと。こう述べるのは江戸時代をご専門とされる近世史学者・大石学先生です。先生はさらに江戸期を「初期近代(アーリーモダン early modern)」として捉え、この時代は近代という新しい時代へと変わるための第一歩であり、江戸期の社会的、文化的特徴は明治維新によって終わるのではなく「江戸的」なものとして現代に途切れることなく普遍性を持って続いていると指摘、つまり江戸期は現代と地続きであると説きます。
この江戸期の平和を支えたリテラシー・教育力を特徴付けるのは何といっても高い識字率と教育の普及でしょうか。特に江戸時代後期、武士のみならず一般庶民の間でも寺子屋などを通じて読み書き・計算(そろばん)が広く普及、地理や歴史、産業など多種多様な往来物(教科書)も盛んに読まれたといいます。江戸のこの高度な基礎教育力は明治以降の近代化の基盤となり現代に繋がっているといいます。また識字の能力の高さは出版文化を発達させ、当時安価で出版された「黄表紙(洒落、風刺、滑稽さを取り入れ、風刺やナンセンスな笑いを含んだ大人の教養・娯楽作品で現代のコミック本に通じるもの)」などは知識人や町人の間で人気を博し、これら読書は江戸の民衆にとってのストレス解消法であり高度な文化だったと伝わっています。同様に識字の高さは川柳や小咄も普及させたようです。江戸の笑いは川柳や小咄など短い作品に表れているといいます。例えば人間の喜びや愚かしさを歌った川柳は人間の本音、皮肉、世相を風刺し人生の悲喜をおもしろおかしく表現しています。また短い話の中にユーモアが詰まった小咄はとんち、勘違い、人情を表現しており正に現代の落語に通じるものだと言われています。江戸の民衆は死の恐怖も笑いでやり過ごす知恵があるようで、例えばコレラや麻疹が蔓延している際にも疾患の恐怖や不安を面白おかしく小唄に載せやり過ごしていたとの記録が残っています。これら厳しい場面に遭遇しても笑い飛ばし楽しむ対処法は教育力あっての高度なテクニックと推測されます。江戸の笑いは、現代のユーモアにも通じる、本音と建前を絶妙に楽しむ文化だったようです。
江戸の教育力は人生の喜びや滑稽さをうたった川柳や狂歌、人々の生活に根ざした間抜けで「笑い」の宝庫の小咄、そして落語、俳諧などの大衆文化を成熟させ、娯楽の多様化を生み、人々の生活に根ざした「遊び」や「情緒」を確立させました。これら確立された「遊び」は時代を超え今なお現代に息づいているといえます。
江戸の文化は、単なる一時期の文化ではなく、現代に繋がる高い普遍性を持った文化として評価することができます。今回大石先生には江戸期におけるリテラシー・教育力をベースに今に息づく江戸の普遍性を大衆文化を交えながら語っていただきます。
(文責:江戸連企画理事)
日 時:5月30日(土)10:00~11:45
会 場:東京ウイメンズプラザ 第1会議室A&Zoom配信
講 師:荒井孝昌氏(江戸連会員)
<講演内容>
1.明け六ツから暮れ六ツまで
2.江戸の時の鐘
3.江戸城の一日
4.正徳4年1月12日江島の一日
*これに関する浮世絵、絵図なども展示します(講師より)。
参加費:現地-会員1,000円、非会員1,500円
Zoom-会員500円、非会員1,000円
報告
5月講は、江戸連会員で元東京国際大学学長の荒井孝昌講師の「江戸の朝昼夜」で、昨年4月以来の講となった。参加者は現地20名、Zoom 6名でした。まず、江戸の人は、絵図・浮世絵などの日常を楽しんでいたようです。
『理科年表 2026』には、明六ツは、日の出前約36分、暮れ六ツは日没後約36分等、富士山爆発が何年かとかの事も書いてある。江戸の時の鐘は、2代将軍、徳川
秀忠の時に始まった。印象的だったのは、上野と浅草とが同タイミングで聞こえていたというのは驚きました。江戸城の一日は、明六ツ(6時)・将軍起床と江戸城の門が開き、暮六ツ(6時)で江戸城の門が閉じる。その間、若年寄の登城や老中登城などがある。又、七ツ(4時)に大奥の七ツ口が閉じる事となっていた。大奥の広さが本丸の半分とは当時の大奥の勢力を深く感じました。
「江島生島事件」は江戸時代中期に江戸城大奥御年寄の江島(絵島)が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだ事が引き金となった。家継の生母・月光院に仕える御年寄・江島は主人の名代として上野・寛永寺、芝・増上寺へ前将軍家宣の墓参りに赴いた。その帰途に木挽町の芝居小屋・山村座にて生島の芝居を見た。その後、江島は生島らを茶屋に招いて宴会を開いたが、宴会に夢中になり、大奥の帰城の門限(4時)に遅れてしまった。
評定所などで調べられ、江島は生島との密会が疑われ、判決は遠島(島流し)であったが、月光院の嘆願により、高遠藩・内藤清枚へお預けとなる沙汰が下った。生島は三宅島へ遠島、山村座の座元・山村長太夫も伊豆大島へ遠島。結果、山村座は廃座となり、関係者1,400名が処罰された綱紀粛清事件。江戸城の一日で、朝から夜までの城内の規律の厳しさを、「江島生島事件」を通じて深く痛感いたしました。
最後に、「原寸復刻・江戸名所図会」の本の分厚さ(6cm以上)には驚かされました。又、展示内容で、浮世絵で増上寺・昌平橋聖堂・水道橋・鳥文斎栄之の
展示も、素晴らしい色彩と引きつけるものがあり、古地図も勉強になりました。
以上 文責:川越 誠司郎
日 時:4月29日(祝・水)13:00~16:30
場 所:東京ウイメンズプラザ第一会議室AおよびZoom配信
13:00~14:00 総 会「2025年度活動報告と決算、2026年度活動方針と予算、その他」
14:30~16:30 4月講「森羅万象・魑魅魍魎・滑稽洒脱…江戸の社会を描き尽くす」-北斎漫画の世界」
講 師:五味和之氏(一般社団法人北斎振興会代表理事)
プロフィール:昭和33年(1958)西東京市生まれ。大正大学文学部史学科日本史コース卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。その後、大学院博士課程在学中の1985年に墨田区文化財保護指導員に就職(~平成21年3月まで)。博士課程終了後、武蔵野女子学院高等学校および中学校の非常勤講師、読売日本テレビ文化センター講師を経て、平成21年より現職(墨田区文化振興財団職員)。平成28年、すみだ北斎美術館開館と同時に教育・普及を担当する。すみだ史談会終身講師。墨田区観光ボランティア養成講座講師。NPO本所深川講師。区内の小中学校への出前授業や史跡めぐり、老人クラブでの講演なども多数こなす。2019年3月をもって、すみだ北斎美術館を定年退職。2021年 一般社団法人北斎振興会を設立し代表理事に就任。今後も北斎を始めとする江戸下町文化の豊富な知識やアイディアを社会に還元し、日本の明るい未来のために貢献する。
今回は世界的にも人気の高い「北斎漫画」をご講演していただきます。「北斎漫画」は北斎が門人のための絵手本として初めて刊行された画集で、北斎没後の明治11年(1814年)までの間に全15編が刊行されました。その総頁数は970ページ越え、収録図版は約4,000点にもおよび、絵図のモチーフも人物に始まり動植物、職業、生活用具、名所、妖怪などと多岐に渡っています。知っているようで知らない事実が多々ある「北斎漫画」、北斎の専門家でもある五味先生にこの世界を深堀していただきます。
講会費:会場参加 会員1,000円、非会員1,500円
Zoom参加 会員500円、非会員1,000円
懇親会:中華料理(ふーちん青山)
報告
4月講は、一般財団法人・北斎振興会代表理事の五味和之氏の講和で、参加者は現地33名、Zoom 2名でした。
まず、新千円札の話題で、北里柴三郎のファンで本人も顔が似ていることを自負し、髭を蓄えられていました。札の裏側の葛飾北斎作「神奈川沖浪裏」の紹介もありました。『北斎漫画』は、全15冊、平均60頁、総図数3,900図と
いう大量の作品がある事に驚きました。文化9年(1812)、北斎が関西に行く途中、名古屋に立ち寄り数カ月の滞在となり、この間に300図余りの版下絵綴りを描いて渡したとは大変な労力だったかと思います。北斎の人柄で,
弟子はとらないが、聞けば教えてくれるとは、大変優しい人柄だと思いました。内弟子をとらず孫弟子等全国に200人位いたようです。全巻15冊のポイントとして、初版から3編⇒手控帳・絵日記をランダムに選び出して描いた。4編⇒簡単なスケッチ、漫画チックにしている。5編⇒建築物、橋の裏側も見ていた。6編⇒武士の嗜みを描く。7編⇒名勝(船の絵・風景・波等)を描く。8編⇒名勝の補完(農家・灯台・機織り等)と養蚕関係を描く。9編⇒和漢の武者絵と烈女を描く。暴れ馬の紐を女性が下駄で押さえていたのは印象的でした。10編⇒神仏関係を描く。百面相は面白かったです。11編以降は、左前の角丸屋に代わり、永楽屋が20編まで刊行を計画した。特に印象に残ったのは12編で、彫師の「江川留吉」による作品で、1ミリの中に髪の毛3~4本を彫るという、圧巻さには驚きました。13編は、北斎が亡くなって終了かと思いきや、永楽屋が、遺稿を探し出し刊行する。14編以降は省略。
1862年のロンドン万博をきっかけに、北斎の絵が世界に広まっていった。特に、フランスのマリー・ブラックモンは、北斎の13編と出会い、皿にカエルや鳥等を絵付けしている。
最後にアメリカのフォト雑誌「LIFE」で、1998年「1000年間の
人類に功績を残した人100人」で、日本人で唯一、葛飾北斎が86位に選ばれている。参考に、1位はエジソン(発明家)、2位はコロンブス(米大陸発見)、3位はマルティン ・ルター(宗教改革)他
以上 文責:川越 誠司郎
日時:3月28日(土)、16:20集合
(乗船:16:40頃、クルーズ:16:50~17:50)
募集人数:伝助登録先着20名限定(クルーズ船は20名で予約済み)
集合場所 : 日本橋たもと「滝の広場:日本橋クルーズ船着場」
(日本橋駅下車:地下鉄銀座線、地下鉄東西線)
行程:[日本橋船着場]〜日本橋川~隅田川~大横川~隅田川〜日本橋川~[日本橋船着場]
〇運航会社:日本橋クルーズ(株式会社東京湾クルージング)
参加費:クルーズ乗船費用 4,300円
報告
3月講は、「お花見クルーズ:大横川さくら60分」で、雨が心配されましたが、結果、江戸連日和のクルージングとなり、現地参加は20名でした。
2017年3月以来のクルーズの企画となりました。行程は、本来のコースである[日本橋船着場]⇒日本橋川⇒隅田川⇒大横川⇒隅田川⇒日本橋川⇒[日本橋船着場]の予定でしたが、船長さんの計らいで、霊岸橋を通り、亀島橋・高橋(たかばし)経由での60分のミニ船旅になりました。
日本橋川水門をくぐり、霊岸橋を通りました。ここは永代通りで真下に地下鉄・東西線が通っています。亀島橋では、東京駅八重洲口に通じていて橋の欄干には亀の甲羅が表示されています。亀島橋辺りは、江戸時代から頻繁に往来があったようです。そこで通行人に挨拶がてら警笛を鳴らす粋なふるまいもありました。
次に高橋では、JR八丁堀駅の近くを通り、南高橋は、船長の言葉によると、日本橋より7歳年上とは驚きでした。桜の花は一部満開の所はありましたが、所々はまだ2分・3分もあり、少し早い感がありました。あと一週間後が最高だったかも知れません。船長さんのたびたびの景色の説明もタイミング良く、勉強になりました。船内では、ビール・おつまみを楽しみながら、大小の橋巡り・スカイツリー見物と桜を愛でる有意義な60分でした。
以上 文責:川越 誠司郎
日 時:2月28日(土)14:00~16:00
場 所:東京ウイメンズプラザ 第2会議室&Zoom配信
講 師:荻原延元氏(江戸連会員)
参加費:現地-会員1,000円、非会員1,500円
Zoom-会員500円、非会員1,000円
懇親会:中華料理(ふーちん青山)
報告
2月講は、江戸連会員の荻原延元講師で、「煕代勝覧 絵の中に登場する人々の生業とは!」のテーマで、昨年8月以来の講となった。参加者は、現地15名、Zoom 3名でした。
最初の話は、東京メトロ地下鉄「三越前」駅の地下コンコースに展示されている、文化2年(1805年)の江戸日本橋本町通りの賑わいを描き、少し拡大され14メートルのサイズに復元している。この原図はドイツ・ベルリンの東洋美術館に所蔵されている。19世紀の初頭に、神田の今川橋から日本橋へ至る土蔵の50以上の商店等の街並みと、様々な人々を絵巻物として描いている。
江戸庶民は、貸本屋で6歳から読み書きを始め、識字率が60%ということに驚きました。又、丁稚は10歳頃から10年間は無給、手代・番頭と進む事も興味がわきました。飛脚では、継飛脚があり、江戸の各藩が領地との連絡に設けられたそうです。
歌川広重作の東海道五十三次・沼津の場面で、月夜に川沿いの街道を行く、母子の巡礼と天狗の面を背負った修行者を描いた様子も印象的でした。終了時間が超過する程の熱弁で、会場も大変盛り上がりました。
以上 文責:川越 誠司郎