江戸連講

2017年6月講「広重に見る江戸の謎」

日時:6月17日(土) 午後3時40分~5時40分
場所:西荻南区民集会所 第1・2集会所(定員70人)
   〒167-0053 杉並区西荻南3丁目5番23号 03-3335-5444
   JR西荻窪駅南口より徒歩10分以内
   http://www.city.suginami.tokyo.jp/shisetsu/katsudo/shukaijo/1006955.html
講師:竹村公太郎氏
   元建設省河川局長(著書『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫))
参加費:会員 1,000円、非会員 1,500円
懇親会:投扇興で馴染みの中華屋「新福來 阿佐ヶ谷本店」(別途割り勘)

※時間と場所が従来と違いますので、ご注意ください。

2017年5月講「江戸城の"歴史と植物"を探訪する」

開催日:5月27日(土)
集合場所:江戸城大手門(橋を渡り、鯱の説明板付近)
集合時間:午後1時半
行程:東御苑入園~百人番所~中之門跡~大番所~中雀門跡~果樹古品種園~富士見櫓~松の廊下跡~茶畑
   ~石室~竹林~天守台~北桔橋門~展望台~汐見坂~二の丸雑木林~二の丸庭園~菖蒲田~三の丸尚蔵館
参加費:会員 1,000円、非会員 1,500円
懇親会:ロンフービストロ 丸の内オアゾ店(会費一人4,000円)

今回のガイドは、会員の土屋繁さん(歴史担当)、麦野裕さん(植物担当)と圓山さん(補助)の3人です。

報告

 5月講は好天気と心地よい新緑の風とあいまって、絶好の散策日和になった。
大手門に入った辺りで36人が集合。歴史班(土屋氏担当)と植物班(麦野氏担当)の二班に分かれて出発した。百人番所~大番所~富士見櫓~松の廊下跡を見る。富士見多聞に入館出来たが、眼下に見える蓮池濠や紅葉山の様子から多聞下の城壁の急峻さが想像される。いよいよ天守閣跡へ。江戸城の中で最も高い場所に更に10数メートルの石垣を築いて、そこに5層の天守閣(約44メートル)が聳えていたという。江戸城を再建する会の理事でもある土屋さんの話に熱が入る。北桔橋(はねばし)門~汐見坂~二の丸公園などを散策。
ツツジ・コウホネ・菖蒲&杜若などが実に美しい。二の丸休憩所で二班が合流し、歴史&植物について活発な質疑応答がなされる。とりわけ天守閣の再建について沢山の意見が飛び出す。最後に三の丸尚蔵館を見学して4時頃お開きとなる。懇親会には15人が参加、いつものように話題満載の楽しい飲み会になった。(圓山)

 野生種を多く集めたバラ園、日本の古い品種のリンゴや桃など果樹を集めた果樹古品種園、竹林、雑木林、江戸時代の池泉回遊式庭園を復元したという二ノ丸庭園の水生植物など、麦野氏の案内で苑内の植物を見て歩いた。何度も訪れたことのある皇居東御苑だが、これほど多くの植物が観察できる場所であったことに驚かされた。多くの植物にはその名を記した標識がつけられており、植物の名を確認しながら散策できるのも魅力の一つだが、麦野氏の解説はそれぞれの植物の特徴をさらに気づかせてくれる。石垣に張り付くように生えたツルドクダミは薬用植物で城によく観られること、ミズキの仲間は導管が強く切れにくいこと、クロマツ・アカマツの松葉の断面は半円なので二本合わせると円になるが、同様に五葉松の五本の松葉の断面は五本合わせるとやはり円になること、アブラチャンは里山の植物の代表だが、名前の通り木の全体に油が多く含まれ燃えやすいこと等々、遊び心いっぱいのガイドであった。(松本)



報告

「十二支の役者見立絵」 学習院大学・東京外国語大学・東海大学ほか非常勤講師 藤澤 茜氏

【参考】藤澤茜 「十二支の役者見立絵」 (『二松学舎大学論集』59号 2016年3月)
Ⅰ 江戸時代における十二支
十二支は殷(前16~11世紀)の時代の中国で行われるようになったという。由来には諸説あり、月の名前に用いられたものとする説、または古代中国において惑星の中で最も尊いと考えられていた木星が約十二年で天球を一周することから、その位置を示すために天球を十二の区画に分け名前を付けたとする説などがある。「子」を鼠、「丑」を牛というように動物を当てはめたのは漢(前202~220)の時代とされ、諸地域に広がった。日本には6世紀に伝わったといい、正倉院の宝物にも十二支をモチーフにしたものが確認できる(十二支彩絵布幕・白石鎮子)。
時刻や方角を指す際にも十二支に当てはめる方法がとられるなど、日常生活にも浸透するようになる。

◆時刻◆
江戸時代は不定時法が用いられ、日の出、日の入りを昼夜の境として六つ時と数え、昼夜をそれぞれ六等分し、一刻(一時)と呼んだ。夏と冬では一刻の時間に差が出ることになり、江戸市中では本石町をはじめ複数の場所に「時の鐘」が設置され、正確な時刻が伝えられていた。時刻の呼称は二種類あり、九つ時から八、七、六・・と四つまでを二回繰り返して示す場合と、一日の十二刻を十二支に当てはめる呼び方とがあった。

江戸時代中期には、その干支にちなんだ動物の置物や飾り物を用いて、年神様として迎える風習も生まれた。また生まれ年とその年の十二支の動物の特徴を重ね合わせるという感覚も、江戸時代に生じたといわれる。十二支は仏教とも結びつき、例えば子は千手観音など、十二支ごとに守護本尊が定められ、江戸時代には民間信仰として広まったとされる。
方位と時刻
Ⅱ 浮世絵に見る十二支
①絵暦
絵暦

②十二支の動物を組み合わせる
歌川国芳画「年が寄っても若い人だ」
歌川国芳画「年が寄っても若い人だ」

歌川芳虎画「家内安全ヲ守十二支之図」
歌川芳虎画「家内安全ヲ守る十二支之図」

③十二支をテーマにした揃物(12枚組のシリーズ物)

<動物自体を描く>
A 礒田湖龍斎画「風流十二支」安永2~4年(1773~75)中判錦絵 【図1】
<子ども絵>
B 石川豊雅画「十二支」1770年代 中判錦絵 【図2】※十二支と十二ヶ月をシンクロさせる
C 礒田湖龍斎画「風流小児十二支」安永2年(1773)頃 中判錦絵
【図1】A 礒田湖龍斎画「風流十二支」
礒田湖龍斎画「風流十二支」

【図2】B 石川豊雅画「十二支 丑 如月」 ※菅原道真
石川豊雅画「十二支 丑 如月」

【図3】N 歌川国芳画「武勇見立十二支 子 頼豪」
歌川国吉画「武勇見立十二支 子 頼豪」
<美人画>
D 礒田湖龍斎画「風流十二支」明和7~安永元年(1770~72) 中判錦絵
E 勝川春潮画「浮世十二支」寛政期(1789~1800)
F 「風流娘十二支」文化4年(1807) 中判錦絵
G 二代歌川豊国画「風流東姿十二支」 文政(1818~30)末
H 二代歌川豊国画「十二支全盛松の粧」 文政(1818~30)末
I 三代歌川豊国・万亭應賀「浮世十二支」弘化頃(1844~48) 小判錦絵
J 三代歌川豊国画「意勢古世身 見立十二直」弘化4~嘉永5年(1847~52) 大判錦絵
K 三代歌川豊国「艶姿花の十二支」元治元年(1864) 大判錦絵
<戯画>
L 歌川国芳画 「道化十二支」 天保12年(1841)頃 小判錦絵
M 歌川国芳画 「道外十二支」 安政2年(1855) 小判錦絵
<武者絵>
N 歌川国芳画「武勇見立十二支」 天保12年(1841)頃 大判錦絵 【図3】
O 歌川国芳画「英雄大倭十二士」 安政元年(1854) 大判錦絵
<役者絵・歌舞伎>
P 歌川国芳画 「美盾十二史」 弘化2年(1845)頃 大判錦絵
Q 貞信画(上方絵)「忠孝十二支之内」嘉永2年(1849)頃 中判錦絵
R 広貞画(上方絵)「見立十二支」  嘉永4年(1851)頃 中判錦絵二枚続
S 歌川国芳画 「見立十二支」  嘉永5年(1852) 大判錦絵
T 三代歌川豊国「擬絵当合十二支」嘉永5年(1852) 大判錦絵 ※文久元年(1861)の図も含む
U 国員(上方絵)「拾二支之内」  安政5・6年(1858・59) 中判錦絵
V 二代歌川国貞画「楽屋十二支之内(見立楽屋十二支之内)」万延元年(1860) 大判錦絵
W 芳瀧(上方絵)「見立十二支之内」文久2年(1862) 中判錦絵
X 広貞(上方絵)「十二支ノ内」元治元年(1864) 大判錦絵
Y 歌川国周画 「俳優見立十二支」 明治2年(1869) 大判錦絵
Z 歌川国周画 「奇術十二支之内」 明治10年(1877) 大判錦絵

Ⅲ シリーズごとの比較
例1)子  美人画=子の日の小松引き/武者絵=頼豪/役者絵=仁木弾正のイメージが強い・雪姫も
【図4】美人画K「艶姿花の十二支」
美人画K「艶姿花の十二支」1

【図5】役者絵S「見立十二支」仁木弾正
役者絵S「見立十二支」仁木弾正

【図6】役者絵P「美盾十二史」雪姫
役者絵P「美盾十二史」雪姫

例2)巳  美人画=弁財天/武者絵=仁田四郎/役者絵=「伊賀越乗掛合羽」(巳年生まれ)・蛇遣い
【図7】美人画K「艶姿花の十二支」
美人画K「艶姿花の十二支」2

【図8】役者絵S「見立十二支」
役者絵S「見立十二支」

【図9】役者絵T「擬絵当合」蛇遣い
役者絵T「擬絵当合」蛇遣い

例3)未 美人画=執事の御やかた/武者絵=関羽(典拠未詳)/役者絵=髪結い・未の刻・見世物
※紙を好んで食べることから、紙と関連づけて描かれる場合がある     「紙」と「髪」をかける
【図10】美人画K「艶姿花の十二支」
美人画K「艶姿花の十二支」3

【図11】役者絵S「見立十二支」未の刻
役者絵S「見立十二支」未の刻

【図12】役者絵V「楽屋十二支之内」
役者絵V「楽屋十二支之内」

例4)戌 役者絵=南総里見八犬伝
【図13】役者絵V「楽屋十二支之内 犬」八犬伝 犬塚信乃
役者絵V「楽屋十二支内 犬」八犬伝 犬塚信乃

例5)酉 役者絵=鶏娘・酉年の守護神(不動明王)
【図14】役者絵S「見立十二支」酉 不動明王 ※前年上演の芝居
役者絵S「見立十二支」酉 不動明王
・最新の芝居=記憶に新しい芝居の見立で購買意欲をかきたてる
・「神の使い」という動物観もあったことがうかがえる

例6)亥 役者絵=「忠臣蔵」・摩利支天
【図15】役者絵S「見立十二支」摩利支天
役者絵S「見立十二支」摩利支天

◆「見立」の方法◆
・動物そのものが舞台に登場するもの(人間がその姿に変わる・・鶏娘)
・干支に関する行事・・初卯詣で など
・神仏に関する連想・・・酉年の守護神である不動明王・摩利支天 など
・刻限・・未の刻=阿古屋
・名前が重なる・・辰=お辰
・その年の生まれ・・巳=巳年生まれの血が眼病に効く



2017年3月講「春の隅田川桜見物クルーズ」

日時:3月25日(土) 午後2時~4時半 雨天決行
コース:品川天王洲ヤマツピア桟橋から隅田川スカイツリーコース往復(約2時間)
集合場所:京浜急行新馬場駅北口改札前
集合時間:午後1時半
参加費:一人6,000円(含む乗船券&スナック)
定員:55名(江戸連会員およびその家族優先)
その他:酒・つまみ持込み可、ただし食中毒は自己責任(江戸連でビールは少々用意)
参考:船会社(株)ジール クルーズ事業部(電話:03-3453-0423)、乗船名 ジークフリート
案内:新実正義

報告


東京湾隅田川スカイツリーコース(新実さん説明資料より)


乗船風景


新実さんの案内と資料の説明


展望デッキ


料理



報告

 江戸連会員で理事、「江戸がたり」の創始者であります寿々方さんの先祖を尋ねる軌跡の講演でした。父方の四代前の先祖が北海道の網元であったという寿々方さんは、大学の授業で聴いた「もしほ草。これは江戸時代に上原熊次郎有次という人が書いた、世界で初めてのアイヌ語の辞書です」との教授の言葉が、ずーっと頭の片隅に残っていました。やがて、父上も主だった親戚の方も亡くなってしまいましたが、先祖を調べ始めると、寿々方さんの五代前の父方の吉田家の始祖、吉田和右エ門が上原熊次郎の次男の鉄次郎で、吉田家に養子に入った人であることが判明、そこで本格的に上原熊次郎について調べ始めると、大変優れた人であることが明らかになってきました。熊次郎はアイヌ語の通辞であり、後にロシア語の通辞としても江戸時代後期に活躍した人物でした。冒頭に述べたように、「もしほ草」というアイヌ語の辞書を著し、アイヌ語研究の第一人者の金田一京助先生をして「ただ単語を最も多く最も精密に記録した語彙であるばかりでなしに、これによってアイヌ語の構造をも観ることを得べく、またその古文書・古記録にもあたる貴重なものである」「この人を仰いでアイヌ語の鼻祖とすること云々」「通辞の中でも出色の通辞だった」と手放しの称賛ぶりです。熊次郎は、当時北海道へ進出しようと接触してきたロシアとも関わりを持ち、中でも北海道に長期にわたり抑留されることになったゴロブニン事件に関して、常に温情を持って捕虜たちに接し、言葉の壁を乗り越えて、事件を解決に導いたようです。金田一先生は、この件に関しても熊次郎を高く評価し、「北門の功労者」と称えています。後半生は、その能力と功績を認められて江戸詰めとなり、天文方高橋作左衛門景保の手附として勤務したとのこと。最後に、後の資料から、熊次郎の死後、吉田和右エ門である鉄次郎が養家を離れ上原の名跡を継いだとあり、寿々方さんの父方の始祖の吉田和右エ門はその後、養子に入った人だと考えられるということでした。いずれにしても、寿々方さんのこの先祖を尋ねる講演で、江戸時代に活躍し、世にあまり知られていない素晴らしい人の事蹟を学ぶことができました。詳しくは、寿々方さんの著書『北門の功労者 アイヌ語通訳・上原熊次郎』をお読みください。

北門の功労者

2月講



2017年1月講「雑司が谷七福神めぐり」

 1月講は「雑司が谷七福神めぐり」です。雑司が谷周辺は日本ユネスコ協会連盟の「未来遺産」に指定され、「変わりゆく時代の中で、変わらないものの大切さを思いださせてくれるまち」として、様々な取り組みがなされているところです。七福神めぐりとしては歴史の浅いところですが、江戸時代の人気スポットである鬼子母神や雑司ヶ谷霊園(夏目漱石・中浜万次郎ほか)・旧宣教師館など見どころ満載のコースです。ガイド役は松本・圓山です。たくさんの連衆の参加をお待ちしています。

開催日:1月7日(土)
集合場所:地下鉄有楽町線「護国寺駅」1・2番出口方面改札口(池袋寄り・護国寺寄り)
集合時間:午後1時半
参加費:500円
コース:護国寺~清土鬼子母神(吉祥天。芭蕉句碑)~三角寛旧宅~雑司が谷旧宣教師館~雑司ヶ谷霊園(中浜
    万次郎・夏目漱石他。御鷹部屋の松)~清立院(毘沙門天。 雨乞いの松)~大鳥神社(恵比寿神)~
    本納寺(蜀山人の筆になる月花塚)~並木ハウス(手塚治虫)~雑司が谷鬼子母神~大黒堂(大黒天)
    ~観静院(弁財天)~法明寺~威光稲荷~中野ビル(布袋尊)~仙光寺(華福禄寿) 全行程4キロ弱
新年会:午後5時~7時「鳥貴族池袋東口店」 03-6914-1991(参加費 一人3,000円(呑み放題付き))

報告

 1月7日(土)13:30に有楽町線護国寺駅1・2番改札集合で新年恒例の江戸連七福神巡りの開始です。集まったメンバーは58名、2班に分かれそれぞれ圓山さん、松本さんのガイドで出発。
 天気に恵まれ、まずは護国寺へお参りし、側にある富士講の富士山に上り、いよいよ七福神巡りが始まりました。最初は清土鬼子母神にある吉祥天にお参り。この地で鬼子母神像が発見されたということや、鬼子母神が吉祥天の母親であるという案内に驚き、お参りして次へ向かいました。後は1月講の案内に紹介された道筋をたどって夕刻16:30過ぎに池袋駅前に着き、解散。

雑司が谷 がやがやお散歩マップ
未来遺産 雑司が谷 がやがやお散歩マップ

清土鬼子母神(吉祥天)   雑司ヶ谷霊園(夏目漱石の墓)
清土鬼子母神(吉祥天)    雑司ヶ谷霊園(夏目漱石の墓)

鬼子母神堂(大黒天)
鬼子母神堂(大黒天)

 懇親会参加者38名は懇親会場の「鳥貴族」に向かいましたが、まだ開店前で17:00まで店内で待機。その後いつものように談論風発、19:00解散となりました。



2016年12月講「投扇興と江戸の芸を楽しむ」

開催日:12月18日(日)
会 場:堀切菖蒲園静観亭
内 容:第一部 師走講「投扇興と江戸の芸を楽しむ」
    午後1時半~3時 投扇興
    午後3時~4時半 藤間信子さんの日本舞踊と長唄・端唄・小唄あれこれ、花伝亭長太楼さんの落語
    第二部 「忘年会」
    午後5時半~午後7時半
参加費:師走講のみは2千円。師走講および忘年会は5千円

報告

投扇興 自由参加。はじめに仲下さんからルールの説明があり、総勢25名の参加者が順次7回投扇して点数を競い、上位8名、圓山、仲下、村岡、坂本、三宮夫人、白石夫人、張さん、白石を選抜、準々決勝を行いました。次の準決勝は、三宮夫人対白石夫人と坂本さん対仲下さんの対戦。白石夫人と仲下さんが決勝に勝ち残り、二人の対決は白石夫人の優勝となりました。仲下さんより提供された「プーチンカレンダー」が賞品として、優勝した白石夫人、最高得点34点の三宮夫人、次点の坂本さんへ授与されました。

12月講
藤間流日本舞踊
最初に藤間信千鶴師匠「白扇(小唄)」、続いて藤間信子師匠「桃太郎(端唄)」、藤間信ゆう師匠「木遣ずくし(端唄)」、再び藤間信子師匠「都鳥(長唄)」とお三方の伝統的な、そして優雅な日本の踊りを堪能しました。二人の外国人留学生も大変興味深く鑑賞しており、日本の伝統的な芸が日常的に鑑賞できるのは素晴らしいとの感想を述べていました。
藤間信千鶴師匠 藤間信子師匠 藤間信ゆう師匠

落語「占い八百屋」 花伝亭長太楼さん
あらすじ:女中に邪険にされた出入りの八百屋が腹いせに主人の大事な徳利を水甕の中へ隠してしまう。後で、そろばん占いで水甕から徳利を見つけ出すと主人は大喜び、紛失物占いの先生となり、占い依頼が殺到。進退窮まった八百屋の運命や如何に! 追いつめられる八百屋の様子や、思わぬ幸運に恵まれ喜んだのも束の間、また新たな窮地に陥る八百屋の慌てふためく様子を、長太楼さんが、持ち前のソフトながら淀みのない独特の口調で語り、皆を笑いの渦に巻き込みました。
花伝亭長太楼さん

忘年会
「藤間流日本舞踊」の藤間信子師匠、藤間信千鶴師匠、藤間信ゆう師匠をはじめ「品川郷土の会」の坂本会長、「NPO法人 たのしいひととき出前どころ」の室尾理事長さんなど、会員外の方の参加も含めて総勢46名で和やか、かつ賑やかに行われました。