12月講「江戸芸能づくし」

日 時:12月5日(土)午後2時~4時
場 所:東京ウイメンズプラザ(青山)第一会議室B
演 目:落語「猫の災難」          花伝亭長太楼師匠(江戸連会員)
    狂言紙芝居「ぶす」「かたつむり」  寿々方さん(江戸連会員・江戸がたり家元)
    トランプマジック         三宮さん(江戸連会員・奇跡の会事務局長)
    落語「子別れ」          花伝亭長太楼師匠(江戸連会員)
会 費:会員1,000円(会場参加)。Zoom参加者は無料。
その他:会場参加者は20名に限定。マスク着用の事。
    コロナの感染状況拡大の場合は会場参加は突然の中止もあります。
    恒例の忘年会は今回中止です。

11月講「高井鴻山」を語る

葛飾北斎を小布施に連れてきた高井鴻山。信濃の豪商の実態は、幕末維新に於ける先覚者であった。

日 時:11月28日(土)午後2時~4時
場 所:高井戸区民センター第9集会室(57名収容可)
講 師:新実正義氏(江戸連会員・元江戸連代表理事)
会 費:会員1,000円、非会員1,500円(会場参加者)。Zoom参加者は無料。
その他:会場参加者は20名に限定。マスク着用の事。
    コロナの感染状況拡大の場合は会場参加は突然の中止もあります。
    その場合、参加費はキャリーオーバーとします。

10月講「歌舞伎へのお誘い~出雲のお国から瞼の母」

日 時:10月24日(土)午後2時~4時
場 所:寿々方邸よりオンライン配信
講 師:寿々方氏(江戸連会員)江戸がたり家元
    荒井孝昌氏(江戸連会員)元東京国際大学学長
演 目:1)お国かぶき
    2)江戸歌舞伎
    3)江戸三座
    4)芝居見物「名ごりの夢」
    5)明治維新以降の歌舞伎
    6)長谷川伸「一本刀土俵入り」
    7)長谷川伸「瞼の母」
その他:会員のみ参加。参加費無料

報告

1.お国かぶき (荒井孝昌さん・講演)
 ・関ヶ原の役で徳川方が勝利して3年後、世の中が落ち着いてきた慶長8年(1603年)、出雲のお国が京都で
  興行を行った。
 ・それまで女性が舞台に立つことはなく、お国は武士の格好をして踊った。
 ・これは、当時とても驚きであり、まともではないことの表現の「傾いたもの」といわれ、それが「かた
  ぶく」となり「かぶき」となった。
 ・踊りの興行は、鎌倉室町の頃から神社・仏閣の勧進興行として行われていたが、出雲のお国が、宗教とは
  関係なく、純粋に娯楽として興行を行ったのである。
 ・京都の四条河原で竹矢来を組んで行い(資料参照)、遊女かぶきともいわれた。
 ・この「女かぶき」はやがて舞台から客引き(売春)をするようになり、寛永6年(1629年)に禁止された。
 ・これにかわって「若衆かぶき」が出てきたが、これも同様に承応元年(1652年)に禁止となる。
 ・かわって「野郎かぶき」が出てきて、女形も生まれ、現在の歌舞伎にいたる。

2.江戸歌舞伎 (荒井孝昌さん・講演)
 ・上方と江戸で演劇としての歌舞伎が発展。それぞれに天才が出現する。都市の性格の違いによって異なった
  特徴がある。
 ・上方の和事(わごと)
  街が歴史・文化を共有している人々からなり、実際の心中事件を題材にした現代 劇をやわらかい写実演技
  で表現された。
  作者:近松門左衛門  役者:坂田藤十郎
 ・江戸の荒事(あらごと)
  街には全国から歴史・文化の違う多くの人が集まり、しかも男性が中心で方言が 飛び交い、江戸文化と
  して統一されていない状況。一見して面白い芝居が演じられた。顔の隈取り、実際にはあり得ない格好や
  派手な演技などはその典型である。
  役者:初代 市川團十郎

3.江戸三座 (荒井孝昌さん・講演)
 ・人形町に猿若座、市村座、木挽町に森田座、山村座ができる。
 ・山村座は江島生島事件により廃絶。
 ・芝居は照明がないため昼間に終日行われた。そのため、食事や女性のためのトイレや着替えなど、また、
  席の予約や札の購入のために芝居小屋が利用された。
 ・料金は、最上級の桟敷で一人2万円程度、平土間で5~6千円程度で、現在とあまり変わらない。一番安い
  2階の後ろは人数制限なしで入れたため、追い込みと呼ばれ、立見席で、役者の声が聞こえないこともあり
  「つんぼ桟敷」の語源ともなった。一人15~16文で200円前後。
 ・水野忠邦の天保の改革で芝居小屋は廃止の予定だったが、北町奉行の遠山金四郎の助言により、浅草聖天町
  に移転された。
 ・周りは田んぼで北側に吉原があり、その先には小塚原の処刑場があって寂しい処だったが、江戸三座が
  一か所に集まることにより賑やかになった(資料参照)。

4.名ごりの夢 (寿々方さん・語り)
 ・徳川将軍蘭方の唯一の奥医師、桂川家七代目当主、桂川甫周の娘、今泉みねさんが昭和9年、80歳のころ
  より語り始めた、幼少の頃の江戸時代の様子を記録した「名ごりの夢」
 ・寿々方さんが解説を交えながら、築地の隅田川沿いの屋敷から舟に乗り、芝居見物に出かける一日の様子の
  部分を、江戸がたりの口調で語られた。
 ・みねさんは安政2年(1855年)生まれ、昭和12年(1937年)に83歳で逝去。
 ・みねさんが13歳の時が明治維新であるから、この芝居見物は彼女が10~12歳の頃であったと思われる。

5.明治維新後の歌舞伎 (荒井孝昌さん・講演)
 ・維新の近代化の波は文化の面でも推奨され、演劇改良運動(主に歌舞伎)が起こった。
 ・九代目團十郎は熱心に活動。彼は「活歴物」といわれる旧来の荒唐無稽な時代ものでなく、史実による時代
  考証を重視した歌舞伎を演じた。
 ・井上薫の後押しもあり、天覧歌舞伎も催され、歌舞伎の地位は向上したが、知識階級以外の一般庶民の評判
  は悪く、やがて「活歴物」は廃れた。
 ・これまで、歌舞伎の作品は座付きの作者が台本を提供していたが、これより、歌舞伎に関係のない人達が
  台本を提供するようになった。
 ・代表的な作者として、坪内逍遥、岡本綺堂、長谷川伸などがいる。
 ・長谷川伸は幼少の頃、両親と別れ苦労して独学で学び、新聞記者となる。その経験をもとに書かれたのが
  「一本刀土俵入り」「瞼の母」である

6.長谷川伸「一本刀土俵入り」 (寿々方さん・紙芝居)
 ・関取になれず、やくざになった男が、昔世話になった女性の難儀を救う恩返しの物語

7.長谷川伸「瞼の母」 (寿々方さん・紙芝居)
 ・幼いころに別れた母を探し訪ねたが、やくざの身では受けいれてもらえず、あの懐かしい母は自分の瞼の裏
  にしかいない、と去っていく男の物語

以上。    文責:白石 徹



9月講「総合的知識人・大田南畝の魅力~狂歌・狂詩・エピソードなど」

日 時:9月26日(土)午後2時~4時
場 所:高井戸区民センター第9集会室(57名収容可)
講 師:森岡久元 氏  作家
    主な著作:南畝三部作「崎陽忘じがたく~長崎の大田南畝」
         「南畝の恋~享和三年江戸のあけくれ」 
         「花に背いて眠る~大田南畝という二世蜀山人」
会 費:会員1,000円、非会員1,500円(会場参加者)。Zoom参加者は無料。
その他:会場参加者は25名に限定。マスク着用の事。
    コロナの感染状況拡大の場合は会場参加は突然の中止もあります。
    その場合、参加費はキャリーオーバーとします。

報告

・大田南畝のお墓の話
・南畝研究家の玉林晴朗(たまばやしはるお)氏と浜田義一郎により戦前・戦後に出版された研究書によると、
 東京都文京区白山の本念寺にある南畝の墓所には、南畝の墓に並んで南畝の妾の島田香と娘の兼を祀った島田
 氏歴世の墓や、父母、妻、倅(せがれ)定吉夫婦、伯母、祖父母、曾孫の墓はあるが、吉原から身請けした
 お賤の墓はない。
・南畝びいきの永井荷風もお賤の墓がないことに落胆している。
・平成11年(1999年)、講師が本念寺を訪れた時には、南畝の墓と両親、お賤の墓があった。関東大震災・
 太平洋戦争を経て、無縁墓の整理が何度も行われた結果と思われる。
・近年、さる放送局が南畝特集を放映するにあたって、無縁墓の中から両親とお賤の墓を見つけ祀ったものと
 考えられる。
・南畝の墓は大きく立派なものだが、「南畝大田先生之墓」とあるのみで墓碑銘がない。これは、南畝亡き後、
 一家は困窮し、後の分を刻む金がなかったものと思われる。
・倅定吉は神経症の病があり、家督を孫の鎌太郎が継いだが、南畝のような役職には至らなかった。
・玉林氏は、お賤の墓は当初島田家歴世の墓があった南畝の隣だったと推定している。
・南畝と香の娘兼と暮らしていた、鎌太郎の孫の大田堅が香と兼の墓である島田家歴世の墓を建立するに
 あたり、兼の念願どおりに、お賤の墓を除いて堅の父親である南畝の墓の横に据えたのではないかと講師は
 推定している。
・南畝の死後、彼の墓の隣を本妻の里与、妾の賤、妾の香と娘の兼が取り合っているようだ。
・以下、妾お賤や妾香との経緯。時世におもねることなき気骨を持ちながら、学問と酒色を愛する享楽の文人
 南畝をこよなく愛した永井荷風の話。大田南畝の若き頃より発揮された天才ぶりを含めたその一生、南畝の
 狂歌等々について、豊富なレジメと軽妙な語り口でご講演された。

 以上。    文責:白石 徹



8月講「江戸の謎めいた坂の名前~三年坂」

日 時:8月29日(土)午後2時~4時
場 所:東京ウイメンズプラザ(青山)第一会議室(80名収容可)
     JR・東急東横線・京王井の頭線・東京メトロ副都心線 渋谷駅 宮益坂口から徒歩12分、
     東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線 表参道駅 B2出口から徒歩7分、
     都バス(渋88系統)渋谷駅から2つ目(4分)青山学院前バス停から徒歩2分
講 師:松本崇男氏(江戸連会員、坂学会理事長)
会 費:会員1,000円(会場参加者)、Zoom参加者は無料。
懇親会:無し
その他:Zoom配信あり(無料)。会場参加は30名限定。
    コロナ感染拡大の場合は中止もあります。

報告

・江戸における坂名は300余あった。
・坂名は、10%しかなかった町名を補うものとして、庶民によってつけられた。
・目印・目標物になるものを坂名にした。
  例)人名:佐内坂、堀坂、六角坂
    景観:富士見坂、潮見坂、八景坂
    形状:長坂、大阪
・三年坂は、これらに当てはまらない不思議な名前である。
・三年坂は全国各地に19か所あり、そのうち江戸に6か所ある。
・その多くは江戸時代に名付けられた。
・三年坂は寺・墓地への道筋にあることが多い。
・19か所の三年坂の場所の一覧とそのうち9か所について由来の説明があった(省略)。
・一番古い三年坂は、京都清水寺の参詣道の三年坂である。大同三年(809年)に開かれたとの伝承あり。
・三年坂周辺は鳥辺野への道筋であり、冥界への通り道であった。
・「三年坂で転ぶと三年のうちに死ぬ」との伝承の由縁でもある。
・清水寺の三年坂の名前が全国に広まった理由は
  *三年坂は清水寺の参道であった。
  *清水寺の勧進活動により、坂名が伝播された。
  *江戸時代に次々と刊行された京都案内(地誌)の影響があった。
・三年坂が産寧坂、再念坂、三念坂とも呼ばれた理由は
  *「三年のうちに死ぬ」という伝承を嫌い、清水寺参詣道にふさわしい坂名に言い換えた。
  *産寧坂:参詣すると安産する。
  *再念坂:再び念が深くなる。
  *三念坂:仏の名を三度念ずる。
・清水寺参詣曼荼羅では、霊場部分が全体の4分の3を占めており、参詣道部分は4分の1で、霊場に至るまでの
 道が圧縮して描かれている。
・参詣道部分:五条橋~六波羅蜜寺~八坂塔~産寧坂(三年坂)~清水寺門前町~(経書堂~大日堂~門前
 茶屋)
・同じころに描かれた「八坂法観寺塔曼荼羅」と比較すると、三年坂、鳥辺野を意図的に避けているようだ。

清水寺参詣道曼荼羅
 

以上。     文責: 白石 徹