日 時:11月21日(土)14:00~16:00
講 師:耀 良彰氏(江戸連会員)
会 場:阿佐ヶ谷地域区民センター第3集会室およびZoom配信
<講演内容> 講師の耀氏より
私は現在、皇居東御苑を中心に、江戸城のボランティアガイドをしています。
ガイドをしていると、ゲストの方から思いもよらない質問を受けることがあります。
「大名は江戸城のどこまで入れたのか」
「伏見櫓の下から出てきた16体の人骨は誰なのか」
「大奥は本当に将軍のハーレムだったのか」
「二重橋はなぜ二重橋というのか」――。
今回は、そんな疑問を入口に、江戸城の表舞台だけでは見えてこない“アナザーサイドストーリー”をご紹介します。
私は歴史学者ではなく、一介のボランティアガイドです。難しい講義ではありませんので、たまには肩の力を抜いて、江戸城の謎解きをお楽しみください。
よろしくお願いいたします。
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参加費:現地-会員1,000円、非会員1,500円
Zoom-会員500円、非会員1,000円
*会員の方の参加費は来年3月末にお支払いください。非会員の方は、会員との合算支払可。
講師慰労会:阿佐ヶ谷中華料理店 「珍香園」(コース料理、飲み放題)一人4,000円
日 時:10月3日(土)第一部 11時開演
場 所:歌舞伎座3階A席
参加費:1人6,000円
【演目】
鯉(こい)つかみ
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)川連法眼館(かわつらほうげんやかた)
【解説】
片岡愛之助の「鯉つかみ」は、明治座、博多座、大阪松竹座でも好評を博してきたケレン味が魅力。
「義経千本桜」の人気場面「川連法眼館」では、8代目菊五郎と7代目尾上菊五郎が共演するなど、錦秋十月大歌舞伎は見どころ抜群です。(石垣理事より)

報告
当日は晴天に恵まれ、参加者は会員ご家族・ご友人を含めて、30名となりました。江戸連としては、2年ぶりの歌舞伎鑑賞会でした。
最初の演目は「鯉つかみ」
あらすじは、俵家の末裔釣島家の息女小桜姫は、清水寺で出会った滝窓志賀之助に一目惚れし、家老篠村の妻呉竹の計らいで密会を果たします。
しかし、篠村が釣島家に受け継がれる重宝である宝刀「龍神丸」を抜くと、その威徳によって姫と一緒にいた志賀之助の正体が、実は釣島家の滅亡を謀る鯉の精の化身であることが発覚。そこへ本物の志賀之助が現れ、琵琶湖へ向かい鯉の精を退治します。
志賀之助が積年の恨みを晴らそうとする鯉の化身である「鯉の精」と戦う本水を用いての大立廻りや早替り・泳ぎ六法等、歌舞伎ならではのケレン(外連)味(意味:はったりやごまかし、奇抜な演出で人目を引く、俗受けを狙ったやり方)を凝縮した見どころ満載の一幕。爽快で華やかな舞台となった。主演は、片岡愛之助。
次の演目は「義経千本桜 川連法眼館」
あらすじは、吉野山の川連法眼の館へ匿われている源義経のもとへ、家臣の佐藤忠信が訪ねて来ます。義経は、伏見稲荷で預けた静御前の安否を尋ねますが、忠信には覚えがない様子。そこへ、静御前と忠信が到着したとの報せが入ります。
これを不信に思った義経から忠信詮議を命じられた静御前が「初音の鼓」を打つと、その音に惹きつけられて姿を現したのは、鼓の皮が自分の両親の皮で作られているため、その音に惹かれた忠信に化けた狐でした。義経はその親孝行な情愛に涙して「初音の鼓」を狐に授けます。
歌舞伎三大名作の一つ「義経千本桜」より親子の恩愛や狐と人間の慈愛が胸を打つ、通称「四の切」。「狐詞(きつねことば)」と呼ばれる独特なせりふ回しをはじめ、本物の忠信と狐忠信の演じ分けが見どころの心温まる物語で、親を慕う子狐の深い情愛の物語。八代目・尾上菊五郎と七代目・尾上菊五郎の親子共演。
参加の皆様方は、大いに楽しんでいただいたかと存じます。
以上 文責:川越 誠司郎
日 時:9月20日(日)14:00~16:00
講 師:時津 裕子氏
会 場:東京ウイメンズプラザ視聴覚室CおよびZoom配信
講師略歴:福岡県出身。九州大学文学部史学科(考古学専攻)卒。同、大学院人間学府行動システム
専攻(心理学コース)修了。2006年博士(人間環境学)。日本学術振興会特別研究員を経て
徳山大学教授。2023年より現職
主な著書:「鑑識眼の科学」「認知考古学」他。論文多数
参加費:現地-会員1,000円、非会員1,500円
Zoom-会員500円、非会員1,000円
講師慰労会:中華料理青山ふーちん(食べ放題・飲み放題)一人4,000円
報告
9月講は、時津 裕子 講師で、「近世墓にみる階層性-筑前秋月城下の事例から-」のテーマで、参加者は、現地14名、Zoom 6名の講となった。
まず、恩師2名の紹介があり、考古学の西谷氏と心理学の箱田氏の話で、両名の影響を受けての考古学専攻となり、心理学×考古学のコラボを利用したようです。
講師は、福岡県出身ということもあり、秋月藩の歴史に精通されていました。
元和9(1623)年、初代福岡藩主(52万石)黒田長政の遺言に基づき、兄・忠之から三男の長興に、当該地方5万石を分知され、秋月藩の初代藩主となりました。以降、
12代・250年近くにわたって、秋月黒田家による統治が続きました。福岡藩から離れ、山の中にあるコンパクトな城でした。講師が、筑前秋月藩城下の寺院墓地を調査、特に以下の4つの寺院について、宗派・建立年・経過・墓地に関する情報収集を進めた。
・興雲山古心寺(臨済宗):正保4(1647)年、初代藩主の黒田長興が父の長政のために建立した。
・医王山長生寺(曹洞宗):慶長5(1600)年開基、中世末期に豪商興膳善入が建立したといわれる。
・秋月山高照院大涼寺(浄土宗):元々は他所に建立された寺院が寛永9(1632)年に現地に移築された。
・無量寿山浄覚寺(浄土真宗):寛永18(1641)年開基。
※墓地に関する情報は、省略。
セリエーショングラフは、墓の形式の出現頻度について、流行のように時代時代で形が移り変わっていたようです。例として、板碑形・櫛形・台頭角柱・尖頭角柱等。
墓石形式について、「笠付型」を選んだ黒田家に軍配が上がりますが、サイズでいえば宮崎家が圧倒しています。本当の格上はどちらなのか不安が残ります。
2200石取の筆頭家老の宮崎家の存在感は、どうだったのでしょうか。
明治維新当時の城下地図であるため、文化8(1811)年の政変で失脚した宮崎家の居宅は既に確認されていない。
調査でみられた墓石形式11種の写真を見て、いろいろな形がある事がわかりました。又、墓石には、被葬者の地位や権威が示されていたようです。
以上 文責:川越 誠司郎
日 時:8月30日(日)14:00~16:00
会 場:東京ウイメンズプラザ第二会議室全室&Zoom配信
講 師:関 良基氏
講師略歴:拓殖大学政経学部教授、信州出身、京都大学農学研究科博士課程修了後博士、
早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、地球環境研究機関客員研究員を
経て現職
主な著書:「江戸の憲法構想 日本近代のイフ」「日本を開国させた男・松平忠固 近代
日本の礎を築いた老中」「赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた
立憲主義の夢」「社会共通資本としての森」他、多数。
*小栗忠順は文政10年(1827年)に江戸幕府旗本の家に生まれ、通称は又一、官位は上野介。
三河小栗氏の第12代当主で幕府の勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行などを歴任。幕府の
実務家として活躍。彼の導入した郵便制度や会社組織の概念は明治政府に引き継がれ、
東郷平八郎も横須賀造船所の功績を称えたといいます。また明治政府の近代化政策の
多くは小栗の施策を模倣したものとされ大隈重信もその功績を評価しているといいます。
2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』では小栗忠順が主人公として幕末の幕臣視点で
描かれるそうです(情報はネット参照)。
参加費:現地-会員1,000円、非会員1,500円
Zoom-会員500円、非会員1,000円
講師慰労会:中華料理青山ふーちん(食べ放題・飲み放題)一人4,100円(予定)
報告
8月講は、関良基講師で、「小栗忠順の近代国家構想とそれを潰した大英帝国」のテーマで、参加者は、現地23名の講となった。
小栗の近代国家構想について、【従来の説】明治維新の意義は封建制を廃止し、中央集権化を進めたことにある。廃藩置県は徳川を武力で倒した明治政府だからこそ実現できた。→これは、間違いで、【事実】徳川政権も、廃藩置県の構想を進めていた。徳川も中央集権化し、近代的立憲政体を導入する準備をしていた。こちらが正しい。
東郷平八郎は、日露戦争後、小栗忠順と赤松小三郎について述べている。特に、赤松小三郎について、赤松は信州上田藩士で兵学者・政治思想家で、勝海舟の従者として長崎海軍伝習所で学ぶ。薩摩藩武力討幕派の中村半次郎らに「幕奸(ばくかん)」(幕末期において「江戸幕府と通じる、または幕府に味方して不利益をもたらす、よこしま(邪悪)な裏切り者・悪人」を指して使われた蔑称)のレッテルを貼られて37歳の若さで、暗殺された。
彼は、ライフル銃の製法を取得し、国産化し、速やかに配備すべきと訴えた。東郷も赤松が殺されて、惜しい人物だったと評している。松平忠固(ただかた)は、幕末の譜代大名、老中で上田藩6代藩主。彼はライフル銃を国産化すべく、試作していた。
小銃はミニエー銃に限るとのこと。火薬の量も少なく済み、飛距離は飛躍的に増大しフランス他ミニエー銃にすることとなった。忠固が試作したライフル銃は、改良を加えてアメリカを驚かせた。講師も「ライフル銃と松平忠固」を出版しています。
幕末から明治にかけて、生糸が多く輸出された。特に、上田の提げ糸、岩代の浜付糸が輸出されていた。フランスが養蚕業の復活のため、小栗が生糸・蚕種をフランスに優先的に輸出することを条件に、フランスの技術支援で、横須賀製鉄所・造船所建設に着手。
生麦事件(文久2年(1862年))では、横浜で薩摩班・島津久光の行列にイギリス人が遭遇し、1人が死亡、2人が重傷となり、英国は陸軍の横浜駐屯を要求。薩英戦争に発展。下関戦争は、幕末の1863年から1864年にかけて、長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強4カ国との間で起きた武力衝突(馬関戦争とも呼ばれる)です。戦争の原因は、攘夷の実行(天皇を敬い外国人を追い出そうとする「尊王攘夷」の思想が高まった結果、1863年に関門海峡を通過した外国船を長州藩が一方的に砲撃)で、 長州が払うべき賠償金300万ドルを徳川政権に要求。責任を押し付けられた江戸幕府は、この巨額の賠償金を受け入れざるを得なくなり、分割払いで150万ドルを支払いました。
小栗の生涯は、慶応4年(1868年)、群馬・高崎の水沼河原で、取り調べもないまま、明治新政府軍により斬首、42歳の若さでの終焉となった。
残りは省略させていただきます。配布資料をご覧ください。
以上 文責:川越 誠司郎
日 時:7月20日(月・祝)14:00~16:00
会 場:東京ウイメンズプラザ第一会議室B&Zoom配信
講 師:田中義巳氏(品川宿史談会 副会長)
参加費:現地-会員1,000円、非会員1,500円
Zoom-会員500円、非会員1,000円
<企画担当理事より>
*今回の講師・田中義巳氏は、今年4月にお亡くなりになられた旧江戸連会員・新実氏からご紹介いただいた方です。
田中氏は東海道に深く精通されており、徒歩による東海道五十三次往復は実に30余度に及ぶそうです。また、東海道のみならず世界各地の街道を踏破してきた達人で”街歩きのレジェンド”とも称されるほど。これまで全国の街道を歩きながら集めた街道や宿場、歴史、建築などに関する書籍は、3万冊以上とのこと。現在は、収集されたそれらの蔵書を扱う古書店「街道文庫」を「品川宿」で営まれています。今回の講では、「品川宿」の概要を語っていただくと共に、江戸時代にこの地で起きた事件から「品川宿」を探っていただきます。
報告
7月講は、田中義巳講師で、「東海道品川宿を様々な事件と出来事から読み解く」のテーマで、参加者は、現地25名、Zoom 9名での講となった。
今回は、特に品川宿にまつわるお話を聞かせていただきました。
膨大な資料とデータとなっていますので、抜粋して報告をさせていただきます。
東海道品川宿は、歩行新宿・北品川宿・南品川宿の3宿で構成されている。
品川宿の総戸数は、2,400軒、人口は10,600人と推計されている。
1718年10月、北品川新町、善福寺、法禅寺門前の茶屋町が、禁制の遊女を抱えていたことで処分される。1729年、天一坊事件(江戸時代中期、山伏の天一坊改行が江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の落胤を称して浪人を集め、捕らえられ獄門(鈴ヶ森で処刑)になった事件)が起きた。
以下省略 ・・・ 配布資料をご覧ください。
以上 文責:川越 誠司郎